船橋アリーナ

「千葉ジェッツを取り巻く全ての皆様へ。共にハッピーになれたかどうかわかりませんが、社長在職2756日、本当にありがとうございました。感謝 」

発表させていただいた通り8月20日の株主総会、取締役会を経て米盛勇哉が代表取締役社長に就任し、私が代表取締役会長に就任することが決定しました。そして、翌日21日記者会見で至った経緯についてお話をさせていただきましたが、改めて私個人の想いをつづらせていただきましたのでご一読いただけると幸いです。また、今後の正式な役職については下記となります。

道永幸治 取締役会長⇒取締役名誉会長 島田慎二 代表取締役⇒代表取締役会長、米盛勇哉 取締役副社長⇒代表取締役社長兼クラブ代表 

千葉ジェッツとの出会い

千葉ジェッツは2010年に千葉県初のプロバスケットボールチームとして創設されました。2011年10月22日のホーム開幕戦で予想以上に厳しい入場者数に危機感をもった道永会長から経営状況を確認して改善点を提案してほしいというミッションを依頼されたことから千葉ジェッツとの関りが始まりました。2011年11月1日から週1回くらいサポートするという約束から週2.3となり気がつけば毎日事務所に足を運ぶようになっていました。私の一番のミッションは前社長をサポートすること。しかし、想定以上に状況は厳しく、乗り越えなければならない壁が山積しており年末頃には前社長から社長を交代してほしいと告げられ、旧経営陣もそれを希望したため1年だけでという約束で社長を引き受けることを決断しました。千葉ジェッツに関わって最初の難しい決断でした。まさに火中の栗でしたが、当時の事業予算が2億くらでしたのでなんとかなるでしょうと最終的には比較的楽観しながら引き受けたような気がしています。2012年2月1日正式に社長に就任し、スタッフに「千葉ジェッツを取り巻く全ての人たちと共にハッピーになる」という経営理念を掲げ一丸となって頑張ろうと熱を込めて話をしたことを昨日のことのように鮮明に覚えています。その頃の私の頭の中はどうやったらこの厳しい経営状況を脱することができるのか、それだけでした。

bjリーグからNBLへの移籍決断

悩んだ末に経営再建のためにbjリーグを脱退してNBLに移籍することに社運を賭けることにしました。移籍理由は、①価値のないクラブが世界のトヨタを仮想敵として「打倒トヨタ」を旗印にスポンサー獲得を目指すため②bjリーグに比して大幅に遠征費が下がるため③数年後にbjリーグ、NBLの再々編が起こりその時はNBLのレギュレーションが採用される可能性が高く早い段階で競技力を高めておくことはbjリーグとNBLが統合した時に先行者利益を確保することが出来るのではと仮説を立てていたため④bjリーグでも弱小の千葉ジェッツがNBLで戦えるようになることがbjリーグ所属クラブへの勇気となり統合にむけて貢献できると信じていたため⑤bjのエンタメ、地域密着性をNBLの企業系クラブにプロクラブの魅力を近くで知ってもらうことで統合の機運を高めることに貢献できる、なんてことを青臭くも真剣に信じていたからです。運よく①で再建のために稼ぐことに成功し、Bリーグの立ち上げでクラブが成長することができました。千葉ジェッツの奇跡はいくつもありますが、この移籍なくして再建も富樫勇樹の入団も今のバスケ界での立ち位置もすべて無かったと断言できます。余談ですが、道永会長はこのリーグ移籍といういばらの道を選択をする以上責任を果たすためにも3年は社長を続けてもらわなければと言われました。1年で退任する約束をして社長になったにも関わらずジェッツの再建のために3年も続けるという予定外の厳しい道を選択すべきなのか、そもそも千葉ジェッツを取り巻く全ての人たちにとって幸せな決断なのか本当に悩みました。ジェッツの経営に関わって後にも先にもこの時以上に悩んだことはありません。今でもあの時の胃の痛みの感覚があるくらいです。

心折れる20連敗

移籍を発表してからも1年間はbjリーグに在籍していたのでかなりつらい状況でした。私たちに向けられたものは裏切り者へ厳しい目。何と言われようと結果で示す以外にないと我慢のシーズンを戦い抜き2013年9月28日、日立サンロッカーズ東京との開幕戦をホーム船橋アリーナで迎えました。下馬評を覆し初勝利からの怒涛の開幕4連勝。いけるのではないかと思ったのもつかぬ間5戦目から地獄の20連敗。「調子に乗ってNBLなんかに行くからだ」「こんな負けてばかりではもう観に行かない」「ぶざま」・・・ほろ苦いNBLファーストシーズンでした。本当に悔しかった・・・。しかし、あの時の悔しさ、前述したリーグ移籍を決断した大義に対する覚悟と責任感があったからこそ死に物狂いでこのリーグで戦えるようになってやると諦めずに奮闘できたのだと思っています。この頃は自分でもいったい何と戦っているんだろうかと自問自答するような日々でした。完全に何かに突き動かされていた気がしています。NBL2シーズン目には初年度1度も勝てなかったトヨタ相手に勝ち越し、プレイオフにも進出するなど大きく飛躍することができました。NBL3シーズン目、クラブ創設5年目には再び社運を賭けて富樫勇樹を獲得。スポンサー営業、集客という経営努力も実り売上高、入場者数も両リーグ通じてトップにまでに成長することができました。社長に就任した時、5年で競技面では優勝、事業面では売上高1位を目指すという当時の状況から考えると夢のようなことを社員に話していましたのでまずは事業面では有言実行を果たすことができました。しかし、残念ながら競技面では優勝どころか優秀な選手を集め補強にも成功していましたが、成績は鳴かず飛ばずの状況から脱することができませんでした。当初の道永会長との約束したNBLでの3年を経過しましたが、新たにスタートするBリーグ、何よりもbjリーグとNBLの統合こそが日本バスケ界にとって最大の価値向上の機会と信じてきてその時が訪れた以上、あと3年は陣頭指揮を執り千葉ジェッツを他の追随を許さないクラブに押し上げる、100年続くようなクラブになるための礎(基盤)を作ることを決意しBリーグ開幕に向かいました。

Bリーグ開幕

このような紆余曲折を経て事業面、競技面ともに苦戦する時期もありましたが、事業及びチーム運営の両面を整備し、様々な施策に積極的に取り組んできました。チーム運営においては、大野ヘッドコーチを迎え「アグレッシブなディフェンスから走る」富樫を中心にアップテンポなバスケで勝つだけでなくブースターを魅了することを目指しました。また観たい、こんなチームなら応援したいと思っていただける以外にクラブの安定経営はあり得ないと信じていたからです。加えてチーム運営における軸(チーム理念)がうまれたことが今の成績に結びついていると確信しています。結果的に、「千葉ジェッツの奇跡」と呼ばれる急成長を果たし、2016年のB.LEAGUE参入以降は、3年連続入場者数1位、2年連続B1東地区優勝、天皇杯全日本バスケットボール選手権大会3連覇、チャンピオンシップ2年連続準優勝、レギュラーシーズン52勝8敗の最高勝率記録とクラブ史上に残る多くの実績を残すことができました。シーズン優勝を掴むことは出来ていませんが、Bリーグ1年目の天皇杯で優勝することができ、目標から1年遅れクラブ創設6年目でチームも日本一にたどり着くことができました。この時の喜び、興奮は今でも忘れられません。おそらくこの7年半で一番嬉しかった出来事だと思います。

夢のアリーナ

そして、千葉ジェッツはさらなる成長を遂げるため、2019年4月に中長期経営計画の中で「 夢のアリー ナ計画 」を発表し、1万人規模 のアリー ナを自前で建設、運営していくことと株式会社ミクシィとの資本提携を公表しました。夢のアリーナが完成した 際には、今以上のブースターにより良い観戦体験を提供することが可能となるだけでなく、この観客動員数の増加を起点に、様々な事業展開を計画しています。また、このような事業規模の拡大に合わせて組織の強化を図り人材採用及び育成を進めています。

富樫勇樹の日本バスケ界初一億円プレイヤーの誕生 

「スターは創るもの」が私の身上で富樫が入団した時から誰よりも先に1億円プレイヤーを千葉ジェッツが、富樫がなってこそ日本のバスケ界の未来に大きなインパクトになると思っていました。実際実現できてメディアにも大きく取り上げていただいたことで多くの子供達の希望になったのでは自負しております。

千葉ジェッツ社長として最後の決算発表

8月20日の株主総会にて8期連続黒字、過去最高決算を発表することができました。本音を言うと私が社長在職中に売上高20億、経常利益2億、リーグ優勝を果たしたかったですが、この目標は米盛社長に託したいと思います。しかしながら、8シーズンで不毛の時代が長かったバスケ界において自助努力で切り拓いてきた自負はあります。いずれにしても社長として最後の決算発表で利益を1億円を突破できたことについては少々ほっとしております。


千葉ジェッツの百年続くクラブへの礎づくり

このように、千葉ジェッツはこれまでの急成長から、今後のさらなる事業展開に向けた転換期を迎えています。 今後長きにわたって持続的な成長を目指すためには私のリーダーシップ経営依存への危機感から「脱島田」を掲げ組織の規模拡大やレベル向上のための再構築を模索しておりました。千葉ジェッツが良い状況、私が支える側に回れるタイミングで執行現場の責任者である社長が代わり未来にスムーズに繋ぐことが私の最大の責務ではないかとここ数年考えておりました。上記の課題意識のもと、今後の成長計画の実行及び組織の再構築を行うための人材探しを行っておりました。そこで3月に外部から新社長となる米盛勇哉を後継者として迎え、約半年間現場でスタッフと共に汗を流し、また私と共に経営に携わる中で、今後の千葉ジェッツの運営を牽引することができるであろうと判断し、このタイミングで社長のポジションを交代することを決断いたしました。私は常日頃より、千葉ジェッツを「この地に100年存続するようなクラブにするためにどうしたらよいか」を真剣に考え最適解を模索、選択してきたつもりです。今、千葉ジェッツが一定程度の成長を遂げたことで、ミクシィとの資本提携、アリーナ計画をもって100年存続するクラブの「礎」は築きつつある状態と考えております。そして、今後は100年続くクラブの具体化に向けて取り組むタイミングであり、米盛社長が現場執行の全面指揮を取ることで、当該任務を遂行していくことが最適であると判断しました。私は代表取締役会長として経営に携わり、円滑な承継の遂行及び安定的に事業運営が可能と判断されるまではサポートしていきます。付け加えるとこの7年半の大きな経営判断、そしてこの決断も全て私の意志です。資本提携が影響している人事ではという憶測が飛び交うのではないかと想像しておりますが、断じてありません。

最後に

ここまで千葉ジェッツが成長することができましたのも多くの方の支えがあったからです。改めまして、ブースターの皆様、パートナーの皆様、地域の皆様、自治体の皆様、バスケットボール協会の皆様、ボランティアの皆様、お取引先の皆様・・・列挙しきれない多くの千葉ジェッツを取り巻く全ての皆様の物心両面のご支援に心より御礼申し上げます。千葉ジェッツは新たなステージに突入しましたが、引き続き変わらぬご支援を何卒よろしくお願いします。選手、チームスタッフ、フロントスタッフ、フライトクルーのみんなも本当にありがとう!!!今シーズンも一丸となって目標を達成するために頑張ろう!!千葉ジェッツの社長として全身全霊尽くした2756日は最高に刺激的で人生で最も充実した時間でした!!感謝。

私の記事を連載してきていただいているnumberさんが想いを上手にまとめていただいているので併せてこちらもご一読いただけると嬉しいです。





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千葉ジェッツふなばし代表取締役会長、島田慎二がスポーツ・ビジネス・地域創生をテーマに日々更新。 リカオン代表取締役、日本トップリーグ連携機構理事兼クラブ経営アドバイザー、Bリーグクラブ経営アドバイザーなどの肩書も。スポーツとビジネスを通してこの国を本気で良くしていきます。
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