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名前のない色【2】

「幸せの定義って何だと思う?」
春の風は嘘をつかない、と誰かが言っていたのを思い出した。暖かいのに、爽やかな風に吹かれながら僕らはゆっくりと、よく晴れた空の下をふたりで歩いていた。
君は眩しい太陽の存在を確かめるようにして空を見上げながら聞いた。そして僕のほうに
向き直ってから、その澄んだ瞳で僕の目をじっと覗き込んだ。
「幸せの定義ねぇ。」
僕は首を捻って考える。
「真面目に考えてよ。」
君は真剣な顔をして言った。僕は少々考えた後に答えた。
「心から笑えること、好きな人と一緒にいられること、友達がいること、家族が元気でいること。」
それを聞くと、君は満足気な笑みを浮かべて言った。
「ふうん。なかなか良い答えだね。」
「真面目に考えろって言っただろ。」
君はくるりと振り返って僕に背を向けると、またゆっくりと歩き始めた。
「君は?何だと思うの?」
僕は君の後ろ姿にそう言って質問した。君は背中を向けたまま言った。
「予期しないこと。例えば40しか努力していないのに200くらいの成果を手にすることが出来たときとかね。」
そう言って君は、また僕のほうに振り返る。とても機嫌が良さそうに。
「妙に現実的だな。」
僕は君の答えを頭の中で復唱してそう言った。
「ちゃんと納得出来る理由はあるんだよ?」
君はそう言って、通り過ぎる恋人同士を見つめていた。幸せそうに寄り添う恋人たち。
「どんな?」
僕が聞くと君は僕の腕を手に取って歩く。
「例えばさぁ、大人になれば努力してもそれ相応のものしか手に入らないことを知るでしょ。努力しないとパッとするものは中々手に入らないし、やたらすごいものが手に入れば、それは怪しいって分かるし。」
「まあね。」
「知らない人からメールが来て、『おめでとうございます!あなたは500万円当選しました!』とか書いてあったって、喜ぶのは子供のうちだけ。待ってもいないメールが来てお金くれるなんて、怪しい。それが普通の大人の考え方で。」
「うん。」
「だから、大人になると予期しないことが幸せなんだよ。雨だと思ってたのに『起きたら晴れだった、嬉しい!』とかね。」
「そんな単純なこと?」
「まだ続きはあるの。」
君は不満そうに口を尖らせて言った。
「予期しないことをキャッチしようと思うと常に感性を磨いていないとならなくて。予期せずに夕焼けが美しかった、とか言う経験ってあるよね。夕焼けに限らず、毎日そういう『予期しないこと』が身に起これば幸せだよ。予期しないことってお金では買えなくて、感性を磨くしかないよね。と、なると…」
「と、なると?」
君は嬉しそうに笑みを浮かべて言った。
「これってさ、感性が豊かであればある程、幸せに敏感であるってことだよね。貪欲に幸せを求めなくても小さな幸せで十分その定義は満たされてしまうってこと。」
「うん…そう、かな?」
「そして私は、もうひとつの幸せの定義を知っているの。もっとシンプルなものをね。」
風は南から吹いて来て、優しく僕らの傍を通り過ぎて行く。音もなく静かに。それが僕はとても不思議だった。君はそんな南風を気持ち良さそうにやり過ごす。僕はそれを見てホッとする。
「定義がふたつもあるって変じゃないか?」
そう言うと君は聞いているのかいないのか、返事をせずに話し続ける。
「もうひとつの幸せの定義はね、現状に満足してもうこれ以上の上を目指さなくなること。」
「具体的には?」
「つまり、別にお金持ちならなくても、彼女や彼氏がいなくても、高価で美味しい物なんか食べなくても、幸せだと感じていること。言い換ればお金持ちになっても、彼氏や彼女がいても、高価で美味しいものが食べれても、現状に満足できてない状態は不幸と表現されているってことになるんだけど。」
「うーん?」
「結局、幸せだと思うのも、不幸だと感じるのも周囲じゃなくて『自分の気の持ちよう』ということ。『自分は不幸だ』と思い込む前に『自分がどうすれば満足してこれ以上の上を目指さなくなるか』を考えるべきで。自分にとって何をすれば現状に満足して上を目指さなくなるか。その目指さなくなった状態が『自分の幸せの定義』じゃない?」
「…難しいこと言うね。分かるような分からないような…。」
「別に難しくないよ?」
君は背筋を伸ばして伸びをして言った。
「難しいと思うのは貪欲に意味を求めるからだよ。もっと物事の本質を受け止めなくちゃ。見えてない部分を見ようとするんじゃなくて、目に映るものを真っ直ぐに見るだけのこと。ねぇ、あなたは今、幸せなの?」

<to be continued>

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