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つなぐはいのちの

生成のシーツが昼過ぎの陽光に浸されて、淡い波を作っている。

「起きろ、いつまで寝てんだ」
少し低めの声が耳に心地いい。ぼす、と飛んできた生成のクッションを寸前で受け止めて、ベッドサイドの時計に目を遣ると、午後2時を少し過ぎた頃を指していた。
「しまった、寝すぎた」
「だから言ったろ、あれで終わりにして寝ようって。お前がもう1本見るって譲んないから」
あー、映画ね。テーブルの上にはだらしなく、ポテトチップスの残骸と、洒落っ気ひとつ無い鈍色の空き缶が深夜のまま放置されている。ああ、あれも片付けないで寝たんだっけ。昨日は大学のサークルの飲み会があって、どうせそれ以上の名の付く関係じゃないし、どうせ大した話だってしないし、一次会も早々に飽きてしまったのだ。それでどういう話の流れだったか、今どきレンタルビデオ屋で適当に目に付いた映画を借りて、コンビニで適当に安酒を買って、二次会はサボって、アパートで飲み直そうかという話になったのだ。

「あー、頭いて」
そんなに馬鹿みたいに飲んだ訳でもないのになぁ、そう呟きながらのそのそと身体を起こす。アルコールを飲んだ翌日と、雨の日は決まって昔部活動で確か傷めた右脚と、頭痛持ちの頭が鈍痛を訴える。昨日買ったファンタのペットボトルを傾けていると、キッチンからカチャカチャと軽い音がするから、どうやら食器や空き缶の類を片付けてくれているらしい。勝手知ったる顔でキッチンを使う彼は付き合いの長い友達で、べらぼうに酒に強い奴だった。昨日も缶ビールを何本煽っていただろうか。きっと頭痛のひとつも感じてないんだろうなあと自身の酒の弱さを呪う。水音が止んだ。終わったんだな、ありがとうな。おう、とぶっきらぼうに声が帰ってくる。なんで彼女いねえんだろうな、と茶化すと知らね、と笑う。幼少期はもっと雑な奴だった気がするんだけど。あと数年前にいた(らしい)彼女は、俺に引き合わせる前に別れたらしい。ざまあみろ。

「なぁお前さ、3本目の映画全然覚えてないだろ」
3本目?そもそも3本も映画を見ただろうか。2本見たまでは覚えている。海外のしょうもないB級パニックと、コメディと。どうやらもう1本見たがって駄々を捏ねたのは自分らしいけれど、おまけに話しぶりから察するに半分寝てまで見ていたようだったから、そうまでして見たかった映画だったろうか。
「あやっぱ覚えてねえんだ。俺お前があんなん見るんだって意外だったんだけどな。そんで俺最後まで見てたけどさ、俺あれいっちゃん良かったけどな」
頭を振るとそう返ってきた。全く覚えてない。机の上に散乱しているパッケージを見遣ると、サメ、ハゲ、それと、・・・アニメ?俺こんなの見たがったのか。そもそもアニメはあんまり見ないし、見ても深夜帯にやってるのをたまたま流し見するくらいだし、そのパッケージにもイラストのタッチにもタイトルにも、全く以て何一つ思い入れも、記憶もないのに。ええ逆にお前あんなん見るんだっけ、と聞くといや俺も見ねえけどさ。と続く。ただ、
「いやなんかさ、懐かしかったよ。俺は。」
座椅子にどか、と腰を下ろすとチリ、とネックレスが音を立てる。こうやって宅飲みをするようになって、アクセサリーなんかも着けるようになって、当たり前だけれど2人して大人になったんだろうなあと実感する。まあ昨日1番笑ったのはハゲのコメディ映画だし、眠たくなったら寝るし、片付けは後回しだけれど。首の辺りをさするのは彼の昔からの癖だ。と、思う。昔理由を聞いたら肩凝り持ちなんだよな、と笑っていた。勉強もパソコンもそこまでしないくせに。

「あ、あとシャワー借りたわ。お前も早く着替えろよ、××食いに行くんだろ」
少し遠くの地名、数日前にテレビで見てから何故かどうしても俺はそれが食べたくて、まあ折角の休日だし、レンタカーでも借りて遠出しようという話になっていたんだった。忘れていた。うーす、と返事をして干しっぱなしの服を漁る。


「あー腹減った!」
昼間の日光は遮るものがないと中々に眩しい。レンタカーは懐かしさすら感じる片田舎の道を飛ばしていく。まあ起きたのも昼過ぎだし、ファンタしかまだ胃に入れていないし。陸橋、田園都市、カーナビの少し先にある大きな橋も、別に普段は何とも思わないけれど、旅行とは言わないまでも小さな非日常の中では十分に美しいと思った。徐々に緑色が増えていく情景を見ながら、地元みたいだなと思った。

はいどうも、と朗らかに手渡された熱々のそれを3つ、俺の分が2つと彼の分が1つ。小学生かよ、と笑われたけれど食べたかったものだから仕様がない。お腹も空いているし。寝過ぎたせいで何とか営業時間ギリギリに滑り込んだ俺たちに、売店のおばちゃんは笑っていた。よかったわねえ、はい、おまけ、と駄菓子まで手渡してもらって気分は上々だ。中々の田舎にしては小洒落た休憩所に腰を下ろして頬張る。少し遠くに沢か小川があるのか、小さな水音や親子連れの声も耳に心地良い。うまぁ、と声が漏れた。昔馴染みも頬張って笑う。いやあ、運転させられた甲斐があったわ。開けた景色の中で少し日は傾いていた。朱に変わりつつある陽光が、嘘みたいだと思った。

まあ案外、嘘かも知んないけどな。

「ーーえ」いつものなんてことない冗談なのに、一瞬時間が止まった気がした。次にざわ、と木立が凪いだ。当の彼は隣で何一つ変わりなく熱々を頬張っている。なんだ、ざわついたのは何故で、何故で俺だけが。どういうこと、と聞き返すのも変な気がして、黙っていた。太陽が傾く。視界が明るく朱に染まる。沢の水音、木立の凪ぐ音、隣でやはり彼は首を摩っていた。何も変わった事なんてない。何一つ不思議な光景でもないのに。どうしてこうも、違和感すら感じるのだろう。日常と非日常、中学だけ別だった幼馴染、早々に別れたらしい彼女のこと、雨とアルコールで痛む脚、駄々を捏ねてまで見た、普段は見ない映画、何故か強く惹かれた××と、おばちゃん、水音、木立、首を摩る癖、嘘みたいな言葉と、嘘みたいな景色。ーー嘘みたいな景色?

「まあ帰ってきた気がするわ」懐かしいなと、笑う。ざあ、と風が吹いた。帰ってきたんだ。彼はここに。いや、或いは俺も?懐かしいのは?

「まあこんどは、のんびりしようや。」

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