人生、子供が欲しい👶
自分が思っていることや感じていること、見た景色や行った場所を発信したいと思う反面、Twitterやインスタのような知り合いばかりのコミュニティーだと人の目を気にする傾向にある。理由は色々あるが、大きく分けると2つ。噂回避と、文章力。(昔から本が苦手で国語が致命的に出来なかった。この話はまたいつか。)
そんなわたしが今回noteを利用しようと思ったきっかけは、友人の影響でnoteを見るようになり、自分と同じ悩みを持つ仲間を勝手に見つけ少し楽になれたから。それとコンプレックスである、文章を書くことを少しでも克服できたら。そんな思いからだ。
わたしは結婚して2年、最近28歳になった。人生山あり谷ありとよく言うが本当にその通りの人生を送っている。今回は谷人生に焦点を当てようと思う。
3きょうだいで育ったわたし。小さい頃は天真爛漫のかわいい女の子だったのだが、6歳の時、祖父が私の誕生日に亡くなったことから私の捻くれた性格がスタートしたように思う。うちは少し古風で亡くなった身内を五十回忌まで法要する。そのせいで?一番楽しい時期の誕生日は毎年祖父の法要日だった。幼き頃の誕生日の思い出はどこかに出かけたいとこっそり母にわがままをいうとそれを聞いていた祖母に不謹慎だと厳しく怒られたことばかりが蘇る。
中学生になる頃、ようやく毎年の法要はなくなった。間隔が3年、5年に延びたことや、親族の予定を合わせることがだんだん難しくなりピンポイントで誕生日の法要はなくなった。
しかし、今度は父の白血病が見つかり闘病生活が始まる。入退院を繰り返し、先の見えない治療をする父を毎日励ますことを思うと、誕生日の1日がなくなるくらい大したことなかったなと中学生ながらに悟りを開いていたことを思い出す。(詳しくはまたいつか。)
そんな父も5年の闘病生活の末、亡くなった。
そんなこんなな思春期は全く勉強しなかったため、適当に進学してしまった。高校まで過ごした環境から一気に落ちた?気がしてすごく嫌で辛かった。それならカッコいい彼氏でも捕まえて玉の輿に乗って〜楽しもう〜💕なんて思ったのも愚か、全く男運がなかった。独りで生きていく決意を決め、国立大学に編入する。
編入した時にできた友達の紹介で彼氏ができ、結婚し旦那になった。結婚が決まった時今までの人生で一番報われた?幸せだと感じた瞬間だった。
しかしその幸せは長く続くわけもなく…
結婚式の2週間前に母の癌が見つかる。それも膵臓に。結婚式までは家族みんな私には黙っていてくれていたのだが、家族が結婚式を明らかに楽しんでいないことがなんとなく伝わっていた。しかし友人達に囲まれてそんなことは忘れ幸せに満ちていた。その翌日に現実を突きつけられるのだ。
幸せなんか一気にかき消された。
そして現在、優しすぎるほど優しいイケメン旦那に支えられて暮らしている。夫婦仲はよく、自分で言うのもなんだが中尾明慶・仲里依紗夫婦のように私たち夫婦はお互いが一番の理解者で親友のような関係である。
そんな旦那と今年の3月頃、そろそろ子供👶がいてもいいかもね〜なんて話した結果、妊活をスタートした。3月はまだ見ぬ我が子への想いが膨らみ、子供の名前を調べてみたり、性別はどちらがいいだの、こんな家で家族仲良く暮らしたいだの、何歳差で兄弟が欲しいだの、仕事しながら子供育てられるかな〜など前向きで明るい悩みを二人でキャッキャ言いながら話していた。半年経った今、子供はまだいない。明らかにその時と夫婦関係も変わってきた。会話も減り、子供の話は一切ない。
妊活を始めたタイミングで来る、友人からのおめでた報告、身内からのそろそろ子供は?などの質問、リセットするたびに溢れる涙に対する旦那からの何気ない言葉に私が疲れてしまったのだ。
一度全てをやめたい。気持ちの整理がしたい。と旦那に伝えると分かった。と言ってくれ私たちの妊活はストップした。
と悪いことばかりを記したが、いいことだって人生たくさんあった。ちゃんとその現実に気づけて目を向けるか向けないかだけの話。
わたしが恵まれていたなと思うことは金銭的に余裕があったことと、人に恵まれていた。これに関してはどの時代も苦労したことがない。それだけでも幸せなことですよね。
SNSは人の表面的な部分しか見えない。私の場合、お金持ちだという部分。その裏には人には言えない悩みをたくさん抱えているんだということを今日のテーマとしよう。
冒頭に述べたSNSへの投稿が苦手な原因、これだったのかなと気づいてしまった気がする。
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