いま悟らずに、いつ悟るのか
ひとたび人身を失いつれば、万劫にも復せず
この時悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまわん『教行信証』
死んでのこ身を失ってしまえば、どれほど長い時間をかけても、もとに戻ることはできない。いまここにおいて悟らなければ、仏でもどうすることもできない。
■この世に人として生を受けて
「ああ夢幻にして真にあらず、寿、夭にして保ちがたし。呼吸の間に、すなわちこれ来生なり」につづく言葉で、『楽邦文類』からの引用です。
「万劫」の劫とは時間の単位の最長のもので、極めて長い時間を表します。つまり、「万劫にも復せず」とは、一度死んでしまえば、どれだけ長い時間をかけても同じ人間の姿に生まれ変わる事はできない。ということです。
仏教では、まだ悟りを得ず迷妄のなかにいる人間をはじめ、全ての命あるもの(衆生)は、生死を絶え間なく繰り返す「輪廻転生」の中にいるとします。それに従えば、現代を生きている私たちも、死んだのち来世でどんな生き物に生まれ変わるかもわからないのです。
ひょっとして来生はカエルかもしれないし、灼熱の砂漠に生きるラクダかもしれない・・・。もちろん生まれる場所も時代も選べません。
そう考えると、今人間としてここに存在していること自体、有り難い事なのだと思えてきます。
親鸞も次のようにお経の言葉を引用しています。
人の命希に得べし。仏世に在せどもはなはだ値い難し
信慧ありて到べからず、もし聞見せば精進して進めよ
人間として生まれることは稀なことである。ただ、仏が世に出現されても会う事は非常に難しい。信心して仏の智慧を得ることは更にに難しい。もし、仏の教えに出会うことが出来たなら、その機を逃さず、是非精進して求めるがよい・・・
これをふまえて親鸞は、せっかく人間としてこの世に生まれ、仏に出会う機会さえ得ているのに、いま悟らずいつ悟るのか、いま悟らなければ未来永劫無明の闇をさまようことになるのではないか。この世にある時悟らなければ、仏であってもどうしても救うことができようか・・・と、共感をもって引用しているのです。
■人生の転機を逃してはいけない
「この時悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまわん」の語句には続きがあり、次のように締め括られます。
願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を残すことなかれ。
この世は深く無常である事を深く心にとどめて、あとに悔いを残すような生き方だけはしないでほしい・・・。これは、悟りの機会を逃して永遠に後悔するようなことになってはいけない。という諭しでもあるのです。
「いま悟らずに、いつ悟るのか」
これは私たちの日常においても、人生の重要な転機となるタイミングを逃すなということにそのまま通じます。
悟りの機会が二度巡ってこないように、人生の大きなチャンスは一度だけです。
飛躍を賭けた重要な仕事なら「今やらずに、いつやるのか」
伴侶を求める愛の告白なら「いま言わずに、いつ言うのか」
競技者としての生命を賭けた挑戦なら「いま闘わずに、いつ闘うのか」
そして、順風満帆の上り調子の時も、決して長くは続きません。良い時も悪い時も「深く無常を念じて」この世で一度きりの人生に悔いを残さぬようつとめましょう。
親鸞 救いの言葉より ナガオカ文庫 宮下真 著 抜粋
※自分の大切な人生です。何が起きても不思議ではない・・・後悔しない為には、機会を逃さず、人生の大きなチャンスは一度だけ!!
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