見出し画像

萩の月

 義父母が東北旅行の土産に萩の月を買ってきてくれた。萩の月は美味いから大いに好きだ。
 以前、栃木の土産でこれと似た菓子を覚えがあるけれど、名前が思い出せない。

 パスタ屋の店長をしていた頃、店長の一般知識があんまりなさすぎるので、エリアマネージャーから宿題を出されたことがあった。各店長に都道府県を割り当て、その県について調べたことをレポートにまとめて出せと云うのである。
 自分には栃木県が当たったが、栃木のことなんて何も知らない。行ったこともない。
 ただでさえ忙しいのに、こんな学生みたいなことをやっている時間はない。
 今ならネットで調べてチョチョイと終わらせることもできるけれど、当時はネットなんて一部の未来人しか使っていない。自分はきっと、パソコンやインターネットとは一生関わらないで生きていくつもりでいたから、この宿題には大いに困った。
 それで店を閉めた後にスタッフと雑談しながら、こんな迷惑な課題を出されているんだが、誰か栃木のことを知らないかと投げかけてみた。
 すると早田君が「あれですよ、餃子が有名じゃないですか」と言った。
「餃子?」
「日本一、餃子食う県ですよ」
「そうなのか。知らなかった。何で知ってるんだ?」
「こないだテレビでたまたまやってました」
 話しているうちに、パートの渡辺さんが栃木出身だとわかった。
「何だ、それなら早く教えてくださいよ。何かネタないですか?」
「えぇ? ないですよ。ただの田舎ですよ」
「何かあるでしょう? 観光名所とか」
「温泉と、東照宮があるぐらいです」
「他には?」
「ないです」
「なんにも?」
「ないです」
 どうも頑なに郷里を否定する人だ。折角出身者を見付けたのに、これでは一向埒が明かない。
「あれがあるじゃないですか、◯◯」と、早田君が水を向けた。〇〇は菓子の名前らしい。それもテレビで見たそうだ。
「あんなの、不味い」
 渡辺さんは、やっぱり頑なだ。
 結局レポートには、餃子を日本一食べる、観光名所は日光東照宮と鬼怒川温泉、と書いて提出した。

 次の店長会議で、全員分のコピーが配布された。その中からベストとワーストを投票で決めると云う。
 厄介なことを云い出したと思ったら、果たして自分の栃木レポートがワーストに選出された。そうしてみんなの前でコメントを求められた。
 それで、内容が薄いのは事実だが、手書きのせいでよけいに薄く見えるのだろう、例えば佐藤君のレポートはワープロ打ちだからそれっぽく見えているが、よくよく見たら中身は自分と大差ない、店長が見た目に騙されるようではパートやバイトの採用にも差し支えるだろうから、もっと本質を見るよう注意した方が良いと云ったら、みんな変な顔をした。佐藤君だけが笑いながら崩折れた。

 翌月、渡辺さんが栃木の◯◯を買って来てくれた。あんなの不味いと自ら一刀両断した物を他人に買ってくるのかと感心した。
 〇〇は随分美味くて感心したが、本当の名前はやっぱり思い出せない。

よかったらコーヒーを奢ってください。ブレンドでいいです。