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悪意、偽物

 今の職場に入って間もない頃、色んな要因が重なって随分居心地の悪い思いをした。
 職場のメンバーの半数以上がこちらを敵視して、「全体、あの野郎はいつまでいるつもりだろうね?」などと聞こえよがしに言ってくるのだけれど、こちらも辞められる状況ではないから、とりあえず聞き流していた。

 当時自分が身に着けていた腕時計は、ある高級ブランドの物によく似ていた。似ているだけで別段高級ではなかったから扱いは雑で、暑い日には机上に外して放置したりしていた。

 ある日、仕事を終えて帰ろうと思ったら、そうして置いていた腕時計が見当たらない。
 ニセモノがなくなるなんて、そんなバカなことがあるものかと、ひとしきり探し回ったけれど、やはりどこにも見当たらない。

 こうなるとやはり彼らが疑わしい。
 懇意にしている同僚にはそれが本物でないことは知られているが、敵視してくる彼らはきっとそれを知らない。そんな者が無防備に放置された超高級ブランド腕時計を見つけたら、まさかそれがニセモノであるなどと思うはずもなく――思うかもしれないが――、ふっと心に魔が差す可能性がないとも限らない。まして敵視してくる彼らである。

 きっとそうだ、彼らの誰かに違いないと思った。それなら一人で騒いだってしようがない。今日はもう遅いのだから、明日改めて総務のフグ田さんに相談することに決めて、その日は退社した。
 帰り途ではずっと、犯人を見つけたら髪の毛を右半分だけむしり取ってやろう、左頬に「ニセモノ泥棒」と入墨してやろう、と考えていた。

 家に着いて車を降りたら、失くしたはずの腕時計を左手に握っていた。
 狐狸の類に化かされるとはこのことだと思う。

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