言語の情報量少なすぎわろた

以前は論理というものを万能のものとして考えていたが、全然そんなことないぞというのが最近のトレンドです。

あるアメリカの研究によると、男性が1日に喋る量は7000語だそうだが、これを日本語に換算すると概ね3500字だそうだ。

単純にこれをデータ量としてみると、わずか7キロバイト。
たったこれだけの情報のやり取りで、一体何ができるのか、いや何もできはしないという気持ちになるが、言語によるやりとりとはそんなもんである。

適当な写真一枚だってもっとデータとしては大きいのに。
無論、単に機械的なデータ量の大小で比較できるものでもない。人間が実際に受け取っている主観的な情報量は、デジタルなデータ量とは全然別物だ。

480pの動画とHD画質の動画を比較すると、データ量は天地の差があるが、人間が受け取る情報量にそう差があるとはおもえない。

である一方で、人間が言語コミュニケーションを過大に評価しているのは間違いない。
さらにいえば、言語をベースにした論理的思考も同様だ。

言語の扱える情報量がそもそも限定的であるし、人間の脳が一度に処理できる言語量も天井が低い。

それに比較して、右脳的な情報、また右脳的な情報処理はあまりに強力であるように思える。

僕自身、これまで左脳的なアプローチで生きてきたが、そろそろ色々なものに限界を感じ始めている。
そろそろ右脳的な能力開発に手をかけてもいいんじゃないか、というのが最近もっぱら考えていることである。

おそらくだが、これまで培ってきた左脳的なアプローチが、右脳を開発して行くのに役立つだろうとおもう。

この辺りの詳細は、また別の機会に書こうと思う。

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