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鈴木千佳子の日記8 ~初めてのウソ~

『鈴木千佳子の日記10』を書き終わり、記念すべき回だったんだなあと思いつつ、今、noteを開いた。すると8が抜けている。下書きに書いたまま、忘れてしまったようである。

しかも下書きには『鈴木千佳子の日記8』しか書いていない。まったくだらしがないと我ながら呆れてしまうが、それを活かし、ウソについて書いてみようかな、と思う。ずぼらもなかなかいいものだ。


私が初めてウソをついたのは、幼稚園の入園式だった。今は三年保育が主流なようだが、私が子どものころは二年制で、年中さんがなかった(と思う)。そして我が家は貧乏だったため、姉も私も一年保育だったこともついでに報告しておこう。


さて、入園式の日。新幼児には、幼稚園からのプレゼントとして、鉢植えが贈られた。けっこう大きかったな、と記憶しているし、今思い返してみると、かなりシブいプレゼントじゃないか、鉢植えなんて、とおかしくなったが、笑っていてもしかたがないので話を進めていこう。


そのとき私は、お教室の木の床(フローリング、といった感じではなかった)に座り、うつむいていた。周りには母をはじめ、たくさんの大人がいる。みんな口々に、同じことを私に問いかける。
「ネエ、チカチャン。アナタホントニサイショカラ、ソコニスワッテタノ?」
私は黙ってうなずいた。そうするしかない緊張感が、そこにはずっと漂っていた。


結論からいえば、私は初めから、そこには座っていなかったのだ。それが私の初めてのウソである。

なぜウソをついたのか。幼稚園生の私は、自分の席に置かれたピンクの花が気に入らなかった。それだけである。


姉と私は2歳違いで、私は姉の影響をかなり受けて育った。兄弟・姉妹とは、けっこうそういうものじゃないかと思う(二男、二女の皆さん、いかがでしょう?)。

姉は、小さいながらになかなかセンスがよく、お人形さん遊びや塗り絵をしていても、さすがだな…と思わせる”なにか”があった。その姉の好きな色が水色だったので、私は水色の花が、どうしても欲しかった。家に帰って、
「キレイだねっ」
と、姉とともに喜びあいたかったのである。いじらしい、私。


が、すっかり困ったのは母だろう。水色の花の前に座っていた親子は、口には出さぬものの、
「なに、この子」
的なムードを醸しだしているし、センセイたちも、
「ネエ、チカチャン」
を止めてくれない。

母としては、かわいいわが子を守りたい一心で、
「あのあのすみません。この子は○○ちゃんの隣に座りたかっただけだと思うんです。ほんとうにすみません。すみません」
と、ずっと私を守ってくれた。そして私に向かってこういう。
「ねえ、千佳子。そうだよねえ」
私はここでもうなずくしか術を知らず、むろん黙ってうなずいた。
しかたないわねえ、ほんとに……という声にならない声が充満したのを覚えている。


というか、上記したすべてのシーンは鮮明に、私の脳に、心に焼きついており、忘れることはないだろうと思う。
ウソをつくのはいけないことであり、ごめんなさいをいえないことはいけないことであり、自分が悪いのにムスッとするのはいけないことだということを、私が学習したからだろう。その花を家に持ち帰り、姉と喜びあったかどうかは忘れてしまったけれど。


しかし反省したにも関わらず、私はこのあとも、けっこう大胆なウソをついてきた。

団地の集会所に忍びこみ、転がっていたタイヤで窓を割り、逃げだすところをバッチリと大人に見られているというのに、
「やってないよ。そこにはいなかったもん」
といいはった、小学三年生・千佳子のウソ。

どうしても水着になるのがイヤで、
「今日は生理です」
といいはった、小学四年生・千佳子のウソ。

姉のシャインピンクリップ(当時流行った色つきリップ)を我が物顔で使い、気に入って我が物とし、悪事が露見しても、
「私は知らないよ」
と、艶々した口でいいきった、小学六年生・千佳子のウソ。

まったくもう、ウソつきはドロボーの始まりとはよくいったものである。


その後、『鈴木千佳子の日記5』に突入していってしまうわけだが、まあ私のそういう部分も影響したのであろう。すべては身から出た錆、が結論だ。


写真はイメージで、私はウソがばれて、泣いたことなどない。とことんかわいくない女である。

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