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推しのいる生活

今日、第164回芥川賞・直木賞の選考会が行われた。数年前まではある文芸メディアの予想座談会に参加するため、候補作の発表から掲載誌を探し回り、全部読む……なんてこともあったが、最近ではなんとなく候補作と受賞作を把握するに留まっていた。

しかしながら、今回の芥川賞の候補作の中には強く惹かれる作品があり、かなり久々にハードカバーを買うまでに至った。それが宇佐見りん『推し、燃ゆ』だった。

『推し、燃ゆ』はそのタイトルが表すように、主人公、“あかり”の推し“真幸”が炎上するところから幕を開ける。

生まれてきてくれてありがとうとかチケット当たらなくて死んだとか目が合ったから結婚だとか、仰々しい物言いをする人は多い。成美もあたしも例外ではないけど、調子のいいときばかり結婚とか言うのも嫌だし、<病めるときも健やかなるときも推しを推す>と書き込んだ。

真幸は男女アイドルグループ“まざま座”のメンバーであり、子役の頃から芸能活動を続けてきた。あかりは「推しの見る世界を見たかった」というスタンスで、真幸の出演した映像作品や雑誌は3冊(保存用・観賞用・貸出用)購入し、推しの発言を聞き取り書きつけたものは20冊を超えるファイルに蓄積させている。しんどくなったときは真幸が子役時代に出演したDVDを観て生きるということを思い出し、新曲におけるグループ内でのポジションが決まる人気投票では惜しみなくCDを積む。

明確に言及されてはいないものの、あかりはどこか発達障害を抱えている登場人物だと推測される。数日前から用意していた体操服を見失い、持ってくるはずだったあれやこれを忘れて四つ折りのルーズリーフに書き連ねる。家族とも衝突し、バイト先の定食屋では何度も失敗をする。

そんなあかりにとって唯一ともいっていい光こそが、推し、“真幸”なのだ。

推しとは何なのか。

“推し”という言葉は、2011年に流行語大賞の候補に上がっているので、ここ10年くらいに生まれたと考えられる。ウェブで検索すると「一番推しているメンバーの略」といった説明がされているが、AKBが台頭していた頃を踏まえると、大人数のグループにおいて「この娘が推し」とアピールするあたりから言葉そのものの知名度が上がったのかもしれない。

2020年10月、2021年1月にはNHKのあさイチでも「推し活」特集が行われ、放送日のスタジオには視聴者から募った推しが羅列された推しのボードがどどんと置かれていた。

第1回の推し特集では、あるアニメを好きなNHKの男性アナウンサーが、「推しのどこが好きなのかを考えることは、自分を深く理解することである」と語っていた。たしかに、自分に無いものを持っている推しに憧れることもあるだろうし、逆に自分との共通点から推しになることもあるだろう。

キュウソネコカミは『推しのいる生活』において、こう歌っている。

恋だの愛だのだけじゃない 特別な感情覚えたよ

「推しは、恋でも愛でもない特別な感情を教えてくれたもの。」本気で“つながる”ことを求めるガチ恋勢もいるかもしれないが、「推しの姿を見るだけで幸せ」といった程よい距離感の人たちも多い。

そんな推しから自分を見つめる人もいれば、特別な感情を抱く人もいる。しかし、あかりは推しを推しているときにだけ自分の生きづらさを忘れている、いわば「依存」に近いように思う。

あかりは生きづらさを抱えながら、推しのためにCDを1枚でも多く積むし、推しの誕生日にはケーキを食べる。そんな生きづらい人生における、救命胴衣のような存在の推し。彼が今後もアイドルを続けることはもちろん不可能だ。

私たちも、推しを推しているときだけ仕事や将来の不安から目をそらすことはできる。『推し、燃ゆ』は決して、そこから脱して自分を見つめ直し……なんて無責任な説教をするわけでもない。むしろ、あかりが推しを推すのに失ったさまざまな後ろめたさやままならない日々の辛いことを“まざまざ”と見せつけてくる。むしろ、それが生きるということなのかもしれない。

推しを推して、後に残るものは何なのか。そんなことを考えないからこそ、推し活は美しいといってしまえばそれまでだ。生きづらさを抱えながら推しを推す意味を考えさせる1冊だった。

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