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ADHD治療薬は命も守っているかもしれない、という論文

なかなか興味深い論文を見かけたので、今日はこれを紹介したいと思います。

簡単に言うと、ADHDに対する薬物療法は死亡リスクも下げるというお話。




ADHDって何?

ADHD(注意欠陥/多動性障害)は、発達障害(DSM-5では神経発達症)の中でも特に頻度の高い症候群です。

近年のデータによれば、若年層で5.9%、成人では2.8%ADHDに該当するそうです(Faraone, 2021)。(※1)

上記の数字は世界全体での値なので、アメリカなどではもっと有症率が高いとも言われています。

自閉スペクトラム症(ASD)の有症率が約1%知的障害約2%なのと比べると、ADHDの多さがよく分かります。(※2)

※1 ASDもADHDも、小児期~思春期と比べて成人期以降は有症率が低い傾向があることが知られています。これは、軽症例の一部で「小児期には発達障害の症状が顕在化して基準を満たすが、成人期以降には症状を抑制できるようになり診断基準を満たさなくなる」例が含まれるためと考えられます。より極端には「そもそも小児ADHDと成人ADHDは患者層が全く別である」という仮説すらありますが、これは言い過ぎではないかと思っています。

※2 ASDの有症率を2%~4%とする調査もありますが、ここではZeidan (2022)のシステマティックレビューに準じて1%としました。知的障害は知能の正規分布を仮定した上で「平均-2標準偏差」を下回る比率として推計した理論値です。いずれにしてもADHDが最も頻度の高い発達障害であることは先進国ではおおよそ一貫した事実かと思います。

※1,2 注釈


ADHDの行動特性は、その名の通り「不注意」「多動性・衝動性」です。

これは疾患概念確立の初期から現在に至るまで大筋で変わりありません。

DSM-5でも、この2つの要素を大きな柱とした上で、そこにいくつかの詳細情報や条件を付する形で診断条件を提示しています。


ADHDには今のところ「根治療法」は存在しませんが、「対症療法」として、症状を軽減する薬物がいくつか確立されています。

日本で保険適応となっている薬には、メチルフェニデート(コンサータ)、アトモキセチン(ストラテラ)、グアンファシン(インチュニブ)、リスデキサンフェタミン(ビバンセ)の4種類があります。

薬によって作用機序は多少違いますが、いずれも脳内の化学物質を通じて不注意や衝動性を改善するという点は共通です。


治療薬は死亡率も下げるか?

発達障害に関する重要な事実として、「ADHDやASDは健常人より2~3倍死亡リスクが高い」というデータがあります(Catalá-López, 2022)。(※3)

※3 まぁぶっちゃけ「人間が死ぬ確率」なんて100%なんですが、ここで言っているのは「特定の期間内に観察対象の人のうち何人死ぬか」みたいな話ですね。ある年齢の健常人1万人のうち毎年10人くらいが死ぬとして、ある因子を持つ人では1万人のうち毎年20人くらい死んでるってデータが出てきたら、「死亡リスクが2倍」ということになります。

※3 注釈

特にADHDの死亡リスクを原因で分けてみると、「natural death」のリスクは健常人と同等であるものの、「unnatural death」のリスクは健常人より高いとのこと。


ここで出てきた「natural death」「unnatural death」という言い回しですが、ざっくり言うと

  • natural death=老衰や内科疾患の自然経過による死

  • unnatural death=それ以外

という感じです。

以降では「natural death=自然死」「unnatural death=異状死」と訳すことにします。(※4)

※4 医学的には「異常死」ではなく「異状死」と記述しますのでご注意下さい。この書き分けは、日常語としての「異常な死」とは全く別の概念である、という意味でも重要です。

※4 注釈


ADHDでは、主に事故や自死による死亡リスクが高まると言われていますが、不健康な生活習慣や犯罪行為に走ると言った形で間接的な異状死リスクも負いやすいと考えられます。

ADHDの治療薬は生活上の支障を減らすことを目的として処方されますが、これがADHDの早死リスクも下げてくれるか?というのが今回の関心です。


今回の論文は、スウェーデンの全国規模のデータを用いた解析(Li, 2024)。

ADHDと診断されたばかりの患者(6~64歳)で、薬物治療が開始された場合とそうでない場合では、2年間での死亡率はどのくらい違うか」というターゲットに絞って解析がなされています。

「薬物治療の影響」だけをなるべく純粋に知るために、「emulation approach」(Hernán, 2022)という解析を採用しています。

この「emulation approach」というのは、性別や出生地や教育歴や併存症や自殺企図歴といった背景因子を統計的に補正して、「薬物治療以外の要因の影響が全部同等になるように揃えたらこういう観測データになるはず」という補正されたデータを作って比較を行う解析のようです。

具体的に知りたい方はHernánの原著を読んで頂けばいいと思いますが、簡単に言えば「ちょっと考えれば思いつくような疑似相関の因子は可能な限り全部補正してるよ」という感じですかね。

なおADHD治療薬には、日本で保険適応になっている4種類にアンフェタミン、デキサンフェタミンを加えた6種類が使用されています。(薬剤別の分析はされていない模様)


解析の結果、ADHD薬物治療を受けた患者は、受けなかった患者よりも死亡率が低くなっていました

その内訳を見ると、自然死のリスクは治療薬の有無によって特に変わらず、異状死のリスクが薬物治療によって低下していました

これは先述した「ADHDによって自然死のリスクは上がらないが、異状死のリスクは上がる」という先行報告とも対応する結論です。

具体的に死亡率を見ると、診断から2年間で死亡する確率は、薬物治療を受けていた患者では0.391%受けていなかった患者では0.481%でした。

確率にするとわずかな差に見えますが、新規患者1万人当たりで考えると、薬物治療によって毎年約5人の命が救われていることになりますね。


私たちはどうすべきか

ADHDに対する薬物治療は、主観的な効果だけでなく、死亡リスク低下という客観的な効果でも測定出来ることが分かりました。

もちろん治療の第一の意義は患者本人のQOLの改善ですから、薬剤治療を望まない患者にまで押し付けてはなりません。

また、薬である以上は副作用もゼロではありませんから、ADHDではない患者への過剰投薬も回避する必要はあります。

ともあれ、データに基づいて言うならば「ADHD患者の適切な投薬機会を逃すことは潜在的に死亡リスクを高めることになる」という考え方は今後意識していく必要があるでしょう。

医療者であっても、患者本人であっても、家族であっても。




確認テスト

以下Q1~Q3の各文について、誤りがあれば修正しなさい。(解答・解説は下にあります)


Q1: ADHDの有症率は、ASDよりも低い。


Q2: 「unnatural death=異状死」には病死は含まれない。


Q3: ADHD治療薬は自然死のリスクを減少させて総死亡リスクを下げる。


以下に解答と解説があります。




解答・解説


A1: ADHDの有症率は、ASDよりも高い。

 本文で紹介したように、ADHDは未成年者で5.9%、成人で2.8%と推計されています(Faraone, 2021)。ASDは小児で3%とする日本の研究(Saito, 2020)もありますが、いずれにしても有症率についてADHD≧ASDという大小関係はほぼ一貫しています。


A2: 「unnatural death=異状死」には一部の病死も含まれる。

 老衰や、事前に分かっていた内科疾患の自然経過による死は「自然死」、それ以外の全ての死は「異状死」となります。ドラマの「アンナチュラル」では死因のほとんどが事故や事件性のあるものでしたが、「異状死」は必ずしも「事件性のある死」とは限りません。例えば、一般的な健常人が脳卒中で突然死んだ場合、ほぼ間違いなく「異状死」にカウントされます。なお、「不慮の事故・自殺・他殺」による死を指す概念として「外因死」という分類があることを知っていると、不用意にこれらの概念を混同せずに済みます。外因死は異状死の部分集合に当たります。


A3: ADHD治療薬は異状死のリスクを減少させて総死亡リスクを下げる。

 本文で述べた通り、異状死リスクが減少することで総死亡リスクが減少します。一方で自然死のリスクは内服治療の有無による有意な差はありませんでした。この原因を想像するなら、ADHDの死因として多数を占めていた事故死・自死が減少する、というストーリーが最も考えやすいですが、そこまで具体的には明言されていません。そもそも突然死は原因の特定が困難な場合も多いので、統計上はこのように「異状死」で集計するほか無い、という事情もあるんでしょうね。




【引用文献】(引用順)

  • Faraone SV, Banaschewski T, Coghill D, Zheng Y, Biederman J, Bellgrove MA, et al. The World Federation of ADHD International Consensus Statement: 208 Evidence-based conclusions about the disorder. Neurosci Biobehav Rev. 2021;128: 789–818. doi:10.1016/j.neubiorev.2021.01.022

  • Zeidan J, Fombonne E, Scorah J, Ibrahim A, Durkin MS, Saxena S, et al. Global prevalence of autism: A systematic review update. Autism Research. 2022;15: 778–790. doi:10.1002/aur.2696

  • Catalá-López F, Hutton B, Page MJ, Driver JA, Ridao M, Alonso-Arroyo A, et al. Mortality in persons with autism spectrum disorder or attention-deficit/hyperactivity disorder: A systematic review and meta-analysis: A systematic review and meta-analysis. JAMA Pediatr. 2022;176: e216401. doi:10.1001/jamapediatrics.2021.6401

  • Li L, Zhu N, Zhang L, Kuja-Halkola R, D’Onofrio BM, Brikell I, et al. ADHD Pharmacotherapy and Mortality in Individuals With ADHD. JAMA. 2024;331: 850–860. doi:10.1001/jama.2024.0851

  • Hernán MA, Wang W, Leaf DE. Target trial emulation: A framework for causal inference from observational data: A framework for causal inference from observational data. JAMA. 2022;328: 2446–2447. doi:10.1001/jama.2022.21383

  • Saito M, Hirota T, Sakamoto Y, Adachi M, Takahashi M, Osato-Kaneda A, et al. Prevalence and cumulative incidence of autism spectrum disorders and the patterns of co-occurring neurodevelopmental disorders in a total population sample of 5-year-old children. Mol Autism. 2020;11: 35. doi:10.1186/s13229-020-00342-5


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