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『傲慢と善良』を読んで怒っている①

読書に何を求めるかは人それぞれだが、当時の私にとってそれは少なくとも怒りではなかった。
だから『傲慢と善良』を読了したあと自分の胸に残った感情に驚き、気持ちを静めようとレビューを漁った結果が絶賛の嵐だったことにも軽い絶望を感じ、現在は未だに消えることなく沸々と湧き上がる感情をどう処理するべきか戸惑っているところだ。そういうわけで『傲慢と善良』をめぐる感情の断片をここで整理し、なんとか冷静さを取り戻したい、というのがこの記事の主旨である。

(注:作品批判や評論というよりも自己内省ベースの記事です。作品を貶す意図は一切ありませんが、ポジティブな感想しか読みたくないという方は閲覧をご遠慮ください。また、以下の文章は作品のネタバレも含みます。)



「人生で一番刺さった小説」という帯に惹かれてこの作品を手に取った。
読後に前述のような状態になっていることを鑑みるとこの表現は的を得ているわけだが、読む前はもう少しポジティブな意味での「刺さる」──強い共感の後にそっと背中を押してくれるような──を想像していた。
それがまさか、本当に胸のやわらかいところを刺して、抉って、そのまま放置されるようなものだとは。


私がここまで長期にわたって(驚くべきことに、実は初読時から二か月経っている!)刺創に苦しんでいた原因は、やはり辻村深月氏の観察力・描写力のすばらしさにあるだろう。
作品のあらすじは割愛するが、端的に言うと第二部主人公である「真実」はあまりにも「私」だった。

作中の言葉を借りれば

「自己評価は低いくせに、自己愛が半端ない。諦めてるから何も言わないでって、ずっといろんなことから逃げてきたんだと思う」

『傲慢と善良』324頁

という彼女の人間性。
「この歌詞は私のこと歌ってる……!」なんてモーニング娘。みたいなこと(注1)を言うのは恥ずかしいが、まさに私に向かって言われているような発言だった。
自惚れたくないので追記すると、この分析にどきりとしてしまうような人は私以外にもたくさんいると思う。だからこれほど多くの読者に「刺さって」いるわけだし、人間なんて基本的には自分のことが可愛くて仕方がない生き物だろう。そのうち大多数が成長の過程で自分の客観的評価を突き付けられるような経験を重ねていくにつれ、それを大っぴらに出せなくなっただけで。

ただ辻村氏は私たちがそうやって懸命に隠そうとしていた感情を、圧倒的な筆力を以て暴いてしまう。しかも真実の言動がいちいちリアルで、私たちは真実の思考や振る舞いのなかに現実の人間を想起してしまうのだ。
そしてその対象は自分自身だけに限らない。

例えば真実が架とはじめての性行為をするとき、自分の人生がいかにままならなかったか、いかに愛されなかった人間か(意訳)をすべて話そうとする場面がある。曰く、

「私がいかにいろいろ気にして、傷ついて生きてきたのかを、全部話さないと、聞いてもらわないと、と思う。そうじゃないと、フェアじゃない気がする。架に、全部聞いてもらって、それでも私でいい、と言ってほしい。」

同399頁

この文を読んだとき一気に嫌悪感が込み上げた。この流れで挙げるのは非常に申し訳ないのだが、こうした自虐的な言動は私の元恋人と酷似していた。

他人と深く関わろうとするとき、自分が否定される恐怖は必ず付きまとう。後で傷つくくらいならはじめからすべて打ち明けてまるごと肯定されたい、そうでないなら自虐として消化して傷が浅いうちに撤退したい──という考えにいたるのはとてもよくわかる。

だけどその承認を押し付けられる側としては、「ありのままで受け入れられたいなんて努力を放棄しているだけなのでは?そもそもそんなに自虐されたら、そんなあなたと付き合ってる私の価値って一体なんなの……」と思ってしまうのである。
そしてこの時の私の思考は、婚活相談所の小野里の発言そのものである。

「無意識に自分はいくら、何点とつけた点数に見合う相手が来なければ、人は、“ピンとこない”と言います。――私の価値はこんなに低くない。もっと高い相手でなければ、私の値段とは釣り合わない」

ああ、本当に妙な感覚だ。ついさっきまでは「私」=「真実」として彼女の理解者であったはずなのに、今度は勝手に別の人間を重ねて嫌悪感を募らせる。それは結局巡り巡って「私」を二重に傷つけることになるのだから、読了後には満身創痍になる。

やはり『傲慢と善良』の「人生で一番刺さった小説」という触れ込みに嘘偽りはない。
ただし、「私」に致命傷を与えた犯人は物語ではなく、あくまで「私」自身だったのだ。


想定外に長くなってしまったので一旦ここで切ることにする。
読了から二ヶ月経った今でもこの熱量で書けることに自分でも引いているが、ひとえに作品の力なのだろう。それだけでも素晴らしい作品であることに疑いの余地はない。
ただ、それでもめらめらと湧き上がるものがまだある。次回の記事ではそうした感情とさらに向き合いたい。

注1)脚注にかこつけて好きな曲を布教したいだけ。聞いてね。


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