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統計検定を受け、シーシャをくゆらせる

「統計検定」という資格試験がある。

「統計に関する知識や活用力を評価する全国統一試験」ということで、
数理統計学の知識やその応用力を測る試験である。
級は1~4級まであり、準1級まではCBT試験になった。
1級は論述試験で、大学受験のように、解答用紙に鉛筆で数式を書きなぐる形式である。
11月20日に、解答用紙に数式を書きなぐってきた。つまりは無謀にも統計検定一級を受けてきた。
手応えとしては受かる気もしないので、とりあえず受験の記録だけを残し、
どういう勉強から始めたのかを共有する。
結論、勉強の過程は、仕事を忘れて没頭できる、良い気分転換になった。試験の内容は、手応えからして合格点からは程遠いと思う。それでも、紙と鉛筆で数式を書いた心地よさは忘れられない。在宅勤務で外を出歩く大義名分もでき、総じて充実した一日だった。
高校、大学と、試験即人生の分岐点のようなギリギリの綱渡りをやってきたので、人生を左右しない資格試験のなんと寛大なことか。試験特有の静寂から来る程よい緊張を楽しむ余裕すらあった。その余裕があるなら勉強しろ。
なお、以下は、統計検定一級の合格を真剣に目指す人にとっては「甘すぎる」と言われても仕方がない勉強ログだと思うので、真面目で真剣な人は読むことをおすすめしない。ただ、僕は精神汚染速度が速いので、真面目に真剣に取り組もうとすると気を病むほうが先にくるなと思ったので、不真面目に勉強した。

数学の素養から身につけ直す

基本的に僕は学術的なバックグラウンドも、仕事も「数学」のお作法からは縁遠い。試験を受ける以前に、少なくとも問題の意味がわかるようなレベルで、数学の基礎を学ぶ必要がある。でも数式のある本の読み方に心得はない。そこから調べた。

結局我流になってしまうが、とりあえず「過程を追う」ということをないがしろにしてはいけない、ということは分かった。とはいえ自分の思考の癖を考えると、数学は一歩間違えると細かいことが気になりだして沼になるので、必要以上の議論には立ち入らないようにした。参考にしたのは以下の書籍。

基本的に必要な事実は永田本で把握し、その細かな計算過程をチャート式でカバーする体制を取った。チャート式は高校の時使っていて、自分に合うレイアウトであったことを記憶していたので、参考にした。
厳密にやるのではなく、あくまで問題を理解し、解くための手段として割り切った。

統計学の基本をやり直す

数学の作法からは縁遠くても、修士論文は多変量解析を使ったので、多少の数学的記述はやった記憶がある。今思えばガバガバ修論で、今でも修士が取り消される夢を見る程度には出来の悪い学生だったわけだが、大学の講義や演習では統計学の実用的な側面に触れ続けていた。
数理的にはギャップが大きいものの、たとえばポアソン分布の期待値と分散が同じパラメータ(多くの場合λで表現される)で表されることや、そのパラメータがガンマ分布に従うと仮定すると負の二項分布に近似できるということは「事実」として受け入れており、ギャップを埋めようとは考えていなかった。分布の定義式とそのパラメータを使った期待値・分散は「事実」として覚えていたものの、「なぜその事実が得られるのか」については追いかけていなかった。
統計学の基本をやり直すというのは、そういう「大学で教わった事実が、なぜ得られるのか」を埋めるという過程であったわけだ。
基本を教わるために参考にした本は以下の通り。

東大出版の『統計学入門』は、読み物としての質が本当に高く、統計的推定、統計検定(資格試験ではなく、実験の評価のための方法論)がなぜ発展したのか、という歴史的な背景までを把握でき、全体的な流れを再構成するには適した本であると言える。
久保川先生の『現代数理統計学の基礎』は、統計検定一級を受験するための定番書の1つで、実際受験会場でも久保川統計を抱えて入室する受験生が多かった。まさに「数学書」であり、演習問題も充実している。数学の本を読むお作法が分かれば内容の充実度でこれを超える本はないと思う。
竹村先生の『現代数理統計学』は統計検定を主催する「統計質保証推進協会」が推奨する書籍である。数式のギャップは多くなく、言葉による説明が尽くされており、数学の本を読むのが難しい人にはこちらは良い導入になるかもしれない。ただし、統計的決定理論は魔境であるので、まずはその前までを押さえるなど、読む場所については注意が必要かもしれない。

これらの本を、計算のために紙を尽くしながら読みかじりつつ、基本的には過去問題を中心に演習を回す形をとった。
過去問題は5年分(2016~2021年)を解くことにした。2021年は比較的難易度が低かったが、個人的には2018年は全く解けず苦労した。
最終的には一通り答えを見ずとも解けるようにはなったが、それでも難易度が高くなる小問の後半は、一部腹落ちできないまま本番に臨むことになる。

戦略として割り切る

基本的には自分で腹落ちするまで次に進めない質なのだが、とはいえ「わからない」状態から抜け出せない箇所も山ほどあった。
そんなときは諦めて脳筋でゴリ押す事しか知らない。アークナイツもゴリ押しで攻略しているので。ゴリ押しに効いたのは技術書典で購入した以下。

「ゴリ押し」は「資格試験に合格する」ことが目的であれば有効であるが、真の理解からは遠ざかるリスクもある。使い方を誤ると思考停止に陥るため、気をつけよう。

90分を過ごし、シーシャを呑む

会場は渋谷で、10:00から入室可能だったので、早めに到着の上、喫茶店で気持ちを落ち着けた。
受験会場には幅広い年齢層がいた。大学生に思われる人や、自分より二回りは上の人まで、今日のために勉強してきたと見える。こうした人達と同じ場にいることが良い刺激にもなった。
試験は90分だったが、気づけば残り15分になるような時間の足りなさがあった。満足に解けたのは各大問で1つずつで、それ以外は全く解けない。そういう印象だった。
問題は基本的に「あー、こういう問題出すのか。面白いなあ」と思った。
そんなに問題傾向を押さえていないが、純粋に解いていて楽しかったという気持ちが正直ある。
特に「事実だけ知っていたが、過程を理解する上では腹落ちするまで進めきれなかった」問題が出題され、それを解けなかったことがとても悔しく思われた。
試験を終え、久しぶりにひどくお腹が空いた。コンビニでトルティーヤを買い、渋谷のシーシャバー(水タバコが吸える店)に行ってミントとレモンをミックスしてもらったシーシャを吸って、個人的な反省を進めた。正直合格水準で解けなかったことはすごく悔しかったが、不思議と「自分はだめだ、情けない」という気持ちは一切なかった。

終わりに

結論、試験の合格を目指す上では大いに力不足だった。
ただ、そもそも不合格で人生が左右されるわけでもないので、そういう意味では気楽に受験できたと思う。受験料6000円は安くはないが、仕事と家庭を行き来する精神生活の中では、試験勉強と受験の場はとても新鮮で、よい脳のリフレッシュになった。
多分、資格試験に挑む人たちはこんな甘ったれたモチベーションで受けていない人が多いと思うし、僕の向き合い方の不真面目さに腹が立つかもしれない。でも僕は真剣に向き合っている。不真面目に真剣である。
統計学はもともと好きで、それで仕事をやっている。資格勉強を通して数理統計学の数学的な面白さ、現実の問題へ適用する方法、それに当たっての先人の苦労を垣間見ることで、より深くハマっていきたいなとも思った。
統計学に関しては、きっと仕事がなくなっても、パラメータの最尤推定を手で計算して楽しくやっていると思う。人生で親の次に長く付き合っているのは統計学だし、向き合い続けることはどうもやめられないと思う。この世で1つだけあの世に持っていける知識があるとしたら統計学だろう。思い出は無限に持っていきたいが。

「勉強して数理統計学の面白さを再発見できた上、試験自体も楽しかった」を、3000文字を使って表現すると、こうなる。

ちなみに今は暗号にも興味があるが、何もわからない。


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