2021年の日記集:世間知らず

【2月3日】

世の中の人たちは毎日、どんな日々を送っているのだろう。
何を考えているのだろう。何に心を砕いているのだろう。

おそらく昨年くらいから、どんどん「ふつう」がわからなくなっている。
正確にはこれまでは「ふつう」という共通認識を周囲の人間が持っている環境に身を置いていた(と、自分が思いこんでいた)、というだけだろう。

会社員の頃と違って「付き合い」のようなものは全くない(欲してもいない)し、 お休みの日だってどう過ごすかを自分で決められる。

興味のわかない人とは、会わない。
やりたくないことは、やらない。
テレビも見ないという以前に、持っていない。
何も予定がなく、家でゴロンと寝転がっているのが至福だ。

そうして、自分一人で過ごしたり、価値観の近い人たちとだけ過ごすうちに、「ふつう」がわからなくなってきた。
別にわからなくたっていいのだけれど、 周りに恵まれているということを忘れないようにしたい。

自分が、自分が身を置く環境が「ふつう」でないこと。
この環境に、居続けることができていること。
違いを許容してもらえていること。

Instagramの「おすすめ」に出てきた、著名らしき方。
ハッピーな写真に、ハッピーな投稿。
リゾート、高そうなお酒、ファッション、車。

個人的には惹かれなかったけれど、たくさんのコメントが付いていた。
「いや、自分がズレているんだ」と、昨日ふと思ってこんな文章を書いている。

では、私がいま興味があるのはなんだろう。

自分が知りえない、 女性(の悩みや、日々晒されている理不尽なこと、子供時代の過ごし方)に興味があること。自分も、無意識の言葉のナイフで周りの誰かを刺していないか怖いこと。教育(というよりも、たぶん人への伝え方)に興味があること。

本を読めば読むほどに... 子育てをしている、仕事をしている 「ふつう」に見える生活をしている人々の強さを知る。 (「きみは赤ちゃん」以外にもおすすめがあれば教えてほしいです)

体験もしていないのに、知った気になってはいけないが、ただ少しでも自分の想像力が豊かになれば、と思う。

ズレていること、それ自体は文字通り「違い」でしかない。
みんな違うのだから、それは問題ではなく。

ズレを認識すること。
ズレを認識するためには、 自分にとっての大切なこと、ふつうなこと。
世の中の多くの人にとって、大切なこと、ふつうなこと。

私は日常の中で関わる人が限られているから、 特に世の中について、自発的に知るようにしたいな、と思った次第。
(もはやニュースも恣意性を疑ってしまうから、いったいどうすれば...なんて思うけれど)

なんだか、普段関わらないような人とお話をしたい気分だなあ。

※この記事は、過去にメンバーシップ内の掲示板に投稿していたものを再編集したものです。

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