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いつも、全部おいしかった。【chapter65】




「お前ってさ、釣った魚にエサやるタイプ?」

泡がすっかり消えた見るからにぬるそうな乳白色がかったビールを、不味そうに飲み干すと切羽詰まった風な男は、疑問を投げかける。

「意外にマメだもんな」

リョウの返答を待たず呟くと、空のジョッキを持ち上げカウンター越しに、ヒューガルデンください。と二杯目を注文する。

なめらかな手触りの、厚い一枚板、木目が美しい重厚なカウンターが鎮座する店。

一時間ほど前「カウンターで」とオギから告げられ電話を切ると、リョウの頭の中には、通い慣れた店のカウンターテーブル、こげ茶色の木目がごく自然に浮かんだ。

店に着き黒い扉を開くとき、その扉のすぐ横に小さく「counter」の文字を見つけリョウは、カウンターとはその店の名前であることを初めて知った。自分はいつだって大切なことは後から知ると思う。

ドジョウの寝床仕様であるその店は、馴染み風情の客でほぼ満席で、若い女の店員は両手にグラスや皿を持ち、奥のテーブルまで、薄暗い店内を絶え間なく足早に往復している。

カウンターに座るリョウの後ろを通る度、微かに、背中に女店員の肘が当たる。店員が手にしている、なみなみ注がれたグラスの水面が揺れ、液体が床に落ちる。アルコールを含むその水たまりを踏めば足が滑りそうだと思う。少しでも女店員が歩きやすいよう、リョウはカウンターに張りつき背筋を伸ばす。どんなに給料が良くともここでバイトをするのはごめんだと、薄暗く奥行きの深いその店に足を運ぶ度、思う。

オーナーの趣味なのか、客足の回転速度をあげる為なのか、常にブルーハーツが流れている。

全てが気忙しい店だと思う。

けれど、飲み物と食べ物が旨く、店員は快活で感じが良く、客との距離感の塩梅が抜群で、そしてヒロトは歌が上手い。当たり前が当たり前に与えられることは貴重だと思う。つまりリョウはこの店をとても気に入っている。


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