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生きていく。【chapter37】

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「結局、最後までタマキがわからなかったよ」

ソノコの隣に座る母親を、ソノコの正面に座る父親は誠実な視線で見つめ、誠実な声音で丁寧に言葉を吐き出した。

父を、ソノコはごくシンプルに、ひどい人だと思った。

その吐露は誠実であるからこそ、父親の真理であることを表しており、ソノコはとても傷ついた。今、目の前にいる人が父親であることを心底から嫌悪したくなるほど。

ソノコは父親のことが好きだった。

両親も元をたどればただの他人の男と女。両親の子供だから、家族だからという理由だけで、男と女のことに自分が口出しするのは違うと、ソノコは思っていた。だからこれまで黙ってきたのだ。けれど「わからなかった」でしめくくるのは、あまりにも冷たいのではないだろうか。

ソノコは今まで干渉せず閉ざしていた口を開き、目の前の父親をなじりたくなる気持ちをおさえる。離婚することとなったにせよ、過去に確かにあった結婚生活を、元妻のことを、全否定するようなものではないのか、とソノコは悲しくなった。悔しくなった。

両親が正式に離婚する前に、三人で食事をしようとソノコは父親から誘われた。楽しい食事会になどならないことは、容易に察しがつく。ソノコは肯定も否定もせず保留にしたまま、時が過ぎ父が諦めることを待っていた。いつまでも返事をしないソノコの気持ちを察した母親が、

「大丈夫よ。最近流行りの円満離婚だから」

と朗らかに笑い諭した。

それと、今彼に対してあるのは感謝と尊敬だけなの。それは彼も同じらしいわ。私達の結婚のたったひとつの光はソノコで、その光だけは真実で、一縷の希望だったと彼が言っていたわ。と笑顔でソノコの気持ちを慰めようとした。離婚は、

「騙し騙しして、何とか持ちこたえてきた積年の性格の不一致の限界」

だという。ソノコが既に成人し、タマキが経済的に自立していることもあり、滞りなく話は進んだようだ。ソノコの知らないところで夫婦は、タイミングを読んでいたのだろう。

「あなたは私達の宝物だから経緯を説明する必要があるわね」

と淡々と話し、そして

「あなたにこれ以上説明する必要はないわ。ここから先はあの人と私だけの二人の話だから」

と話を途中でストンと切った。母が父をあの人と呼んだときヒヤリとしたのは確かであったが、ソノコが聞いた範囲の「性格の不一致からの円満離婚」は詭弁ではないのだろうと、ソノコは腑に落とすことにした。それなのに。

しかし、悲しい気持ちで白いテーブルクロスの光沢の刺繍を見つめ、白いコーヒーカップの底の褐色のリングを見つめ、空っぽのデザート皿を見つめ、猛烈にチョコレートが食べたいと苦しくなっているソノコが、横に座っている母親に視線をこっそり移しうかがうと、母親はいかにも涼しい顔で、窓の外の景色を見ている。自分のことを言われているとは到底思えないような、「中身が空っぽの世間話に飽きたから外の景色を見ている」。そんな雰囲気だ。

ソノコはさっぱり分からなくなる。夫婦と言うものが。

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