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障がいを持つ子の育児を通じて学んだこと②

待つこと、待たせること、そして信じること

待つということ

 例えば皆さん、小さなお子様が靴を履くのに上手く出来ない、という時に手伝ってあげますか?
 おそらく、「早く履きなさい。」と言って待ってあげられると思います。

 でも、履くことが出来ないと分かっている子であったなら、いかがでしょうか。

 そうなんです。

 障がいを持つ子との日常生活は、全ての場面が訓練の場となります。全てです。

 朝起きて着替える、トイレ、学校の用意、靴を履く、通学路を先に歩かせる、先生に会ったら頭を下げる、家に帰ったら手を洗う、お風呂に入る、体を拭く、服を着る、歯を磨く…。

 全部、小学生にもなれば「あたりまえ」に出来ること。出来る前提ならこちらも待てるのです。
 でも、出来ないと知っている事を、出来るまで待つという事は大変忍耐が必要なのです。

 私は、この待つということが少々苦手でした。学びの機会を奪っている事を知りつつも、なかなか…。

待たせるということ

 待たせる(我慢させる)事も日々の訓練でした。

 例えば、お腹が空いてきた、食事の準備出来ている。席に座り、いきなり食べ始める。これではいけません。「いただきます。」の挨拶が必要ですよね。

 この時、食べたい欲求を抑えさせないといけないのですが、何せ言葉のコミュニケーションが取れないので苦労しました。

 我が家では、食べる前に指折りで数を数えさせました。「いち、に、さん」「てをあわせてください」
パッちん「いたーだきます」と。毎食の約束として体に覚えさせました。

指導をする上で

 社会人として、後輩を指導する機会があれば、今の話はよくわかっていただけると思います。

 例えば、部下育成において、待つという事は重要だと考えられています。上位者が手を出し続けていては、成長の機会を奪うことになるからです。

 しかし、部下の成長をただ見守ることは、なかなか難しいと思います。つい手を出してしまう。上位者が、待つこと、我慢する事が出来ないのです。

信じるということ

 ここで私は思うのです。

出来ると信じていれば、いくらでも待つことが出来る

 もちろん、時間的余裕がある事は前提かもしれませんが、手を出してしまう時「こいつには期待していない」
「こいつには出来ない」と、諦めている時ではないでしょうか?

 人財育成のスタート地点は、相手を信じる事なのだと私は思います。

常にビギナーであれ。

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