日付のない、今日。

ざんざん雨の降る中、いつものようにベンヤミン広場を、列になって吊るされて雨に揺れる、今日は少しくすんだ色とりどりの傘の下、斜めに突っ切って帰ってきた。いつものように。放っておくと、頭からか足からか、漂流するから、「いつものように」は大事にしておくことにしている。

広場を通り抜けて、よく繁った街路樹の並ぶ緑の道へと左に折れながら、昨日の夜、雷混じりの雨音を聴きながら少しだけ、ゆっくりとページをめくったオクタビオ・パスの詩(集、を読んだ、と言うにはあまりに速く眠りに吸い込まれてしまって、数編、読んだだろうか。)がとてもよかったな、と思い出す。今夜、静かに終われば、またあそこに戻ってきたい、と思うような時間だった。
(あそこに戻れば、静けさがそこで、待っているのかもしれない。両方向。)

次の角で右に。その角に、まだ入ったことがないのだけれど夕方からだけ開いている小さなカフェバーがある。外に、今日みたいなざんざん降りの雨でなければ、小さな丸テーブルが6つくらい、中はカウンターとバーチェアに合わせた高さの小さなテーブルがたぶん5つくらいの小さなお店。一人で切り盛りしているらしく、夕方通ると焦茶色のエプロンをしたお店の人が、感じの良い(あたふたするのでも、いらいらするのでもなく、ただ全部のテーブルに気を配りたいから、と言う感じの)慌ただしさで外と中を行き来しているのを時々見かける。

やっぱり良さそう、このお店、と思いながら、ここ数日バルセロナの友人たちとやりとりをしていたからだろうと思う、皆、あのバルに深く関わりのある人たちだった、昔働いていたバルのことを思い出す。そしてまたオクタビオ・パスに頭が戻って、それにしても、なぜ自分はこの詩人の散文ばかり読んできたのだろう、と思って、それから、ああ、そうだ、あの1番テーブルに日々夜々集っていた人たちは全員、詩人だったのだな、と思った。

行ったり来たり。日付も現在地も、留まらない金曜日の午後の帰り道。

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