見出し画像

書籍解説No.25「入門 東南アジア近現代史」

こちらのnoteでは、毎週土曜日に「書籍解説」を更新しています。

前回の投稿はこちらからお願いいたします。

今回取り上げるのは「入門 東南アジア近現代史」です。

画像1


本書では、東南アジアの近現代史が以下の5つのフェーズでまとめられており、その歴史を辿りながら現代社会における東南アジアとその展望が綴られています。

ヨーロッパの植民地時代 (16-19世紀)
日本の占領統治時代 (1941-1945年)
東南アジア諸国の独立をめぐる混乱の時代 (1945-1964年)
開発主義国家の台頭と民主化の時代 (1960年代後半-1990年代)
経済開発と発展の時代 (1960年代後半-2000年代)

東南アジア諸国は、植民地支配、戦争、独立運動、開発という動乱の時代を経て、近年は人気のある旅行先として、そして巨大な経済圏として海外から大きな注目を浴びています。

本著では東南アジアの歴史が非常に分かりやすく描かれていますが、ここですべてをまとめることはできないことから、以下では地域機構である「ASEAN(東南アジア諸国連合)」東南アジアの展望についてまとめていきます。

画像2

車窓から望むクアラルンプールのビル群 (2017年)


【世界が注目する経済圏「ASEAN」】

植民地支配から独立した東南アジア諸国は、当初はそれぞれ一国単位の政治運営と経済開発を進めてきましたが、1960年代後半になると、地域諸国の協調が進んでいきました。
そして、1967年に創設された地域機構がASEAN(東南アジア諸国連合)です。

しかし、創立当初の大きな目的は、東南アジアの社会主義勢力への対抗でした。第二次世界大戦後に始まった冷戦の影響はアジアにも及び、アメリカを軸とする自由主義とソ連を軸とする社会主義のイデオロギーが対立する舞台となりました。
東南アジアでは、社会主義国であるベトナム、カンボジア、ラオスに対抗する形で、自由主義国側のインドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、フィリピンの5か国によって地域協調の気運が高まっていきました。

ASEANが創設される前にもいくつかの地域機構が作られていきましたが、実質的な活動はほとんどなく、自然消滅のような形で度々消えていきました。
そして1965年にベトナム戦争が始まってから2年後、タイの呼びかけによって自由主義国側の5か国が一堂に会し、「バンコク宣言」を発表し、ここにASEANは結成されました。

1975年にアメリカがベトナムから撤退すると、ASEAN加盟国は経済社会を強化することが社会主義勢力への対抗策であるとし、協同の経済開発が進められていきました。

世界各地では次第に社会主義勢力が瓦解していき、1990年前後に冷戦が終結すると、ASEANの加盟国は拡大していきました。1984年にはブルネイが加盟し、以降はベトナム(1995年)、ラオスとミャンマー(ともに1997年)、カンボジア(1999年)、東ティモール(2002年、オブザーバー加盟)と相次ぎ、今では東南アジアのすべての国が加盟されました。そして2000年代には、本格的な経済協力が始まっていきます。

このようにして、当初こそ社会主義勢力への対抗を目的に設立されたASEANは、現在では6億4000万人もの規模を誇る東南アジアを単一の市場としてみることで外国投資を惹きつけ、投資市場を拡大させています。


【東南アジアの未来 ①多様性の原型

著者は「終章 東南アジアとは何か」で、同地域の今後の展望を綴っており、それらは大きく分けると以下の3点となります。

①多様性の原型
②イスラーム過激派勢力
③東南アジアの英語化

まず、①の多様性の原型です。
東南アジアは民族的にも宗教的にも多様な人々が暮らす地域であり、なかでも多様性の象徴として取り上げられる国の一つがマレーシアです。
マレーシアでは、人口的にはマレー民族が大多数を占めているものの、中華系移民やインド系移民なども国内では一定の存在感を示しており、それぞれの民族が独自の言語、宗教、文化、伝統などを守りながら生活を営んでいます。そして、それぞれの民族が基本的には融合することがなく、はたまた侵食することもないスタンスで共生しています。
しかし、マレーシア政府はマレー民族を実質的に優遇する「プミプトラ政策」を敷いており、これは多数派であるマレー民族の原型(固有性)を守ろうとする方策ともいえます。現段階において、民族間の対立や衝突などは表面上起きてはいないものの、こうした原型(固有性)の維持と多様な民族の協調という相反する要素のバランスをいかに採っていくのかが重要であると、著者は述べています。

画像3

画像4

画像5

多民族国家であるマレーシアでは、多様な食文化も味わえる (2017年)


【東南アジアの未来 ②イスラーム過激派勢力

続いて、②イスラーム過激派勢力の動きについてです。
東南アジアの宗教文化は大きく分けると仏教圏、イスラーム圏、キリスト教圏からなっています。イスラームに関して、昨今はインドネシア、マレーシア、そしてタイやフィリピンの一部地域で、イスラーム過激派組織の武力を行使した活動が活発になりつつあります。
ちなみに、インドネシアは世界で最もムスリム人口が大きい国です。

【東南アジアの主なテロ組織】
ジェマ・イスラミア(インドネシア)
パタニ連合解放組織(タイ南部)
モロ民族解放戦線(フィリピン・ミンダナオ島)
アブ・サヤフ(フィリピン南西部)

東南アジアの過激派勢力の中心組織は、1993年にインドネシアで結成されたジェマ・イスラミアであり、東南アジアのイスラーム圏を対象にイスラーム国家の樹立を目論んでいます。同組織は、2002年10月に202人もの犠牲者を出したバリ島での爆弾テロの首謀者であり、その他の東南アジア圏内でのテロ事件にも関与しています。
冷戦期の東南アジアにおける治安対象は社会主義勢力の武力行使でしたが、冷戦終結以降はその対象がテロ事件へと移っていきました。

世界的にムスリム人口が増加するなかで、東南アジアは過激派勢力の支配下に置かれてしまう可能性はあるのでしょうか。著者は、東南アジアでは政教分離及び世俗主義の原則が広く行き渡っていることから、その現実性は薄いとみています。しかし、そのような動きが東南アジアの未来にとって脅威であることはいうまでもなく、政府の治安対策、そしてテロ組織の動向は注目すべき点です。

(先月もテロ攻撃とみられる事件がフィリピンで発生している)


【東南アジアの未来 ③東南アジアの「英語化」

東南アジアでは、フィリピンやシンガポールのように英語を実質的な国語(学校の授業言語)としている国があります。それは欧米諸国に向いたものであり、いわばグローバル化が進む現代社会に対応したものでもあります。
ビジネスにおいて用いられる対話言語はいうまでもなく英語です。外国投資が盛んに参入し、拡大状況にある東南アジアにおいて英語の修得は不可欠であることから、英語教育に注力することは未来を見据えた方策ともいえるでしょう。

また、トランスナショナルな人・モノ・情報の移動が活発化した社会において、「ダイバーシティ(多様性)」は非常に重要な要素の一つです。グローバル化の時代のもとで、多様で流動的な消費者のニーズや要求に対応するには、組織の構成員の価値や行動様式、国籍などは多様であるべきだとされています。
長らく停滞状況にある日本は、近年の東南アジアの発展から学べる部分があるのではないでしょうか。


【まとめ】

繰り返しになりますが、現代社会における東南アジアは観光産業だけではなく投資市場としても世界から注目されている地域です。今後も更なる躍進が予想されますが、その一方で、上述した懸念のほかにも少子化・高齢化、公害・環境問題、貧富の格差拡大など、先進国特有の問題を既に抱えている国もあります。これらは日本もかつて直面してきた、あるいは現在直面している問題であり、おそらくASEAN諸国も同様に向き合っていくことになるでしょう。
更に、国によっては民主主義のあり方を巡る動きもあり、中国との領土問題も抱えています。

同地域はかねてより日本との関係が深く、地理的にも近いことから、今後も動向を注視していく必要がありそうです。

この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

よろしければサポートお願い致します。今後記事を書くにあたっての活動費(書籍)とさせていただきます。