
東急東横線にて〜渋谷が終着駅だった頃:2013.1.31
今から10年前の2013年1月31日。
この日より4日間ほど東京近郊に滞在していたのですが、本日は31日の夕方から夜にかけて撮影した写真をお見せします。
31日は確か新横浜駅近辺に宿をとったように思います。午前中の所用を終わらせて京急を撮影したあと、宿泊するビジネスホテルにチェックイン。荷物をホテルに置いて身軽になり、カメラなど最低限の物だけを持って東急渋谷駅へと向かいました。
東京都は渋谷駅から神奈川県の横浜駅までを結ぶ、東急の主要路線のひとつである東横線。西側の横浜から先は元町・中華街駅までみなとみらい線と一体的な運行が行われている点は当時も今も変わらないのですが、東側は決定的な違いがふたつあります。
それが地上の高架駅であった渋谷駅と、地下鉄日比谷線との直通運転です。
現在の東横線渋谷駅は地下に位置し、東京メトロの副都心線と接続。副都心線は小竹向原で西武線と、和光市で東武東上線と接続しており、渋谷駅はこの4社直通運転を実現する重要な接続駅となっていますが、この「地下化」が行われたのは2013年3月のことでした。
当時の東横線渋谷駅は地上の高架駅で、現在のSHIBUYA STREAMのビルがあるところに位置していました。名実ともに終着駅という趣のある駅で、いわゆる櫛形ホームとも呼ばれる、乗車ホームと降車ホームが明確に分けられた頭端式構造の駅で、俗に「かまぼこ」などと呼ばれた屋根の形状も特徴的でした。
さて、渋谷駅から代官山駅を経て更にその次にある中目黒駅では東京メトロの日比谷線と接続している点は、現在も変わりありません。今でこそ日比谷線の列車は全て中目黒駅で折り返していますが、当時は日比谷線の列車が東横線の菊名駅まで直通しており、当時の主力車両である03系が東急線内にまで顔を見せていた他、逆に東急車も日比谷線内まで足を伸ばしており、現在は池上線や多摩川線の主力車両であったり、また三重県の伊賀鉄道や長野県の上田電鉄へ譲渡された例が有名であるように、地方私鉄で活躍している1000系が日比谷線直通列車に就いていました。
渋谷駅の地下化に地下鉄日比谷線への直通運転が終了、現在の4社直通の運行形態に移行したのが2013年3月の出来事だったので、終わる前に一目見に行こうというような思惑で出向いたものと思います。
長い尺度で見れば改革前夜と言ってもよい時期の東横線で撮影した写真を本日はお見せします。
まずは菊名駅にて
新横浜駅からJR横浜線の上り列車に乗車して、東へ1駅行った先にある東横線との乗り換えができる菊名駅へ。菊名から優等列車で一気に渋谷を目指すのですが、渋谷行きの列車を待っているあいだに撮影したカットが2枚ほどありました。


03-120Fは先頭の両端2両が5扉車
大阪とは質が違うと言っても過言ではない帰宅ラッシュの人波に圧倒されつつ、程なくしてやってきた列車で渋谷へと向かいます。
地上時代の渋谷駅
渋谷駅到着後は駅構内の様子を記録していました。





特徴的な形状の屋根は俗に「かまぼこ」と呼ばれた

先頭部はホームも手狭
私と同じ鉄道ファンの方々が撮影された写真を後になって見たという程度の記憶ですが、確か地上駅の営業終了間際になると、屋根の中吊り広告などが地上駅廃止を偲ぶ内容のポスターに差し替えられたように思います。
長い目で見れば東横線の大変革前夜と言っても良い時期であったとは言え、この頃はまだまだいつもの渋谷駅の時間が流れているように感じました。
再び菊名駅にて
さて、渋谷駅構内をひとしきり眺めたあとは宿がある新横浜へと帰ります。
横浜線に乗車する前に、少しのあいだ今度は渋谷行きの列車を撮影していました。


現在は3連化され、番号も1507Fに改番し、池上線や多摩川線で活躍しています
脱車された中間車は先頭車化改造を受け、島根県の一畑電鉄と、福島県の福島交通に譲渡されました


2017年廃車
日比谷線で活躍していた03系は2020年までに全車が13000系に置き換えられましたが、03-114Fは一番最初に廃車された編成です

現在は5連化され、同番号のまま大井町線で活躍しています
使用機材
Nikon D200
AF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VR
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