失敗は成功の母

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 よく仕事をしていると上司の叱責が嫌なもんで、ついつい縮こまってしまう事がある。その辺りは相手の顔色を伺ってみたり、時には興味を逸らせるように息を殺してみたりと思考を凝らして色々やってみたものだ。しかしそんな一連の行動は相手から見れば、この上なく鬱陶しく感じてしまうもので、自分が思っている以上に怒られてしまうなんて光景は1回や2回は目の当たりにした事はないだろうか?

 仕事のやり方なんて口や身振り素振りを見て、自分に落とし込めているかを問われると分かったものではない。新人のペーペーで、なおかつ右も左もわからないのならば「アグレッシブに攻めて来い、思い切り失敗してこいよ」という“失敗を恐れない気持ち”を厳しく教えてあげているのだ。よく若い頃の苦労は買ってでもしろだなんて言うけれども、実際聞いたところである程度は想像できる部分はあるけれども「どんな気持ちになるんだろう?」とか「ホントにそうなるの?」なんていう疑問は少なからずあると思う(まあ、そんな事を考えてるのは俺だけかもしれないが)。ジュージューに熱したヤカンを触ると火傷をするから触れてはいけないと言われても、そんなもの触ってみないと分からないじゃないかっていう気持ちに通づるところはあると思うがどうだろうか。実際に火傷して初めて「ジュージューに熱したヤカンは触ってはいけない」と認識して、彼は金輪際ジュージューに熱したヤカンには触れることはないだろう。

 要するに何をやるにしても失敗してみないとわからないんだっていう事なんです。じゃあ筆者、テメー何か偉そうに高説に垂れちゃってるけれどもさあ、どうなんだよ? と思ってらっしゃる方に断言致します。

俺、すっっっっっげーやらかしてますよ!

胸張って自慢できる事ではないが、そりゃあもうね、やらかしてますよ。特に多いのがインターネット。コレに関しては、もう田代まさしクラスでやらかしてます。もうミニにタコが……いや耳にタコができるほど大人の皆様に怒られてもね、やらかしちゃうんです! 馬鹿って死ぬまで治らないのかなあと自責の念に駆られてしまいます。大きくやらかした様子をザックリ纏めますと…… 


・友人がはしゃいでる写真にふざけてアプリ加工を施して投稿。翌日、大喧嘩
・私の周りにいる人達がとあるビジネスにハマって勧誘している様子をブログで批判したら、事務所に連行され洗脳されかける
・私を辱める行為を行った同僚を痛烈にディスる内容を投稿した翌日解雇
・過去に因縁のあった方々を否定する内容を投稿した翌日お仲間を引き連れて職場に殴り込まれる。社内で土下座
・反りの合わない方々の愚痴を投稿したら、友達と繋がってて朝まで御説教

 他多数ありますが、割愛させていただきます…………もう馬鹿としか言えないです。呆れて物が言えないって気持ちはこんな様を言うてるような気がします。もしも、しくじり先生のオファーがあったら、特集してもらっていいくらいやらかしています。まあ共通して言える事は“顔の見えない誰かが見ている”という事だろう。TwitterやNechossやってても、自分の投稿なんて見てくれてないんだと時々自己嫌悪の気持ちになるのですが、そんな内容も見ている人間は見ていて、見えない所で共感を得てたり、嫌な気持ちをしているって事を忘れてはいけないなあとツイートのアクティビティを見てて切に思います。
 
 此処からはちょっと自己分析の話になります。これだけしくじっているのに何故同じ過ちを繰り返してしまうのかというのを自分なりに考察していきましょう。今回のテーマは※失敗は成功の母である。

※失敗してもその原因を追究したり、欠点を反省して改善していくことで、かえって成功に近づくことができるということの例え。

一連の内容で共通しているのは怒りフラストレーションといったものではないかと推量する。やり場のない気持ちが自分の中で限界に達し「誰でもいいから僕の話を聞いてよ」という願いが、不特定多数の人間が見てくれるSNSにマッチしたのだろう。しかし自分にも大きな反動がやって来ることをわかっていなかった。こんな諸刃の剣のようなコミュニケーションツールあっていいのだろうかと思うと、つい掌に力が込もってしまう。
 
 他にもあるのが、仕事をしていたり普段の生活でもストレスは付き纏ってくる。ストレスと上手く付き合うのが大人なんだと教えられてきたものだが、そんなもん断言してやります。できねぇーっす!! 容姿端麗な女達を肴に酒を呑んでも、そんな一過性なものでは浄化し切れないほどストレスって蓄積するんです。今でも尊敬する松本人志氏が著書にて、週刊朝日で連載をもった理由として、ストレスの捌け口がほしかったと言っていたのを思い出す。連載をやめたのも、週に一回はつまらない事に腹を立てるのが嫌になったからだそうで(人に指図されるのが嫌だからだとか、週刊朝日の連載を明るみにしたくなかったとか理由は諸説ございます)。筆者はそんな松本氏の執筆のスタイルに憧れ、日々自分の中でいけすかない事があればパソコンを起動して、思った事を書き殴っては投稿して不特定多数の読者の皆様を何とも言えない気持ちにしてきました。そんな自分が馬鹿だなあと嘲笑しながらも、時に羨ましくも思えてきたんです。もの凄い率直な事を拙い語彙力で伝えている様が、ハイロウズに近いものを感じ取れたんですよ。自分で言うのも何ですが

 やはりストレスの捌け口はあっていいんですよ。Facebook、Instagramもやっているんんですけれども、そこは世を忍ぶ仮の姿でやらせてもらっているのですが……待て待て。kogoekan96が世を忍ぶ仮の姿だろうっていうのはごもっともですが、noteではこの名義でやらせて貰ってるんで、一応こんな風に括らせて下さい。メビリン利用していた時は、こんな感じでハンドルネームを使って、誰が誰だがわからないようにしていて、世を忍ぶ仮の自分を守ってきましたが、周りが本名で登録しているせいか、ついつい自分も本名で登録してしまうんです。それでわかった話、めっちゃ身バレするんですよね(私の地元が4畳半ばりに狭いという事もあるのですが)。筆者としては、世を忍ぶ自分とネットの自分は違うものだと認識しているのです。例えて言うならば……

松任谷由美くらいのギャップでお送りしているんですよ。

その辺りの振れ幅が大きすぎて、リア友や周りの皆様方は着いていけなかったのかなあと省察しています。この先また懲りずにネットでやらかしてもいけないので、自分への戒めという意味も込めてnoteに自分の過ちを書き残す。では今日はこの辺で。

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