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〈小説〉(三題噺)「満員電車」「包丁」「厚焼きベーコン」

三題噺(さんだいばなし)とは、落語の形態の一つで、寄席で演じる際に観客に適当な言葉・題目を出させ、そうして出された題目3つを折り込んで即興で演じる落語である。三題話、三題咄とも呼ぶ。(wikipediaより)



「満員電車」「包丁」「厚焼きベーコン」




 京阪電車特急出町柳行、朝の通勤時間のこの沿線は都会の通勤電車に劣らない過密度の高さで、ついさっき着た白のブラウスに、汗が染み込むような暑さであってもそれは変わらない。洋紅色と黄土色の箱がただ感情を無くして、毎日、操られたように乗り込む人たちを運んでいく。

 この日も私は、いつもと同じ時刻に起きて、いつもと同じ分数を使い朝の支度をして、いつもと同じ時刻に家を出る。意識をしているわけではなく、3年前に就職したきっかけで、香里園にある実家から越して一人暮らしをしていると、何故だか身についた習慣だった。明日には全く違う時間に家を出るかもしれないし、今まで変わっていてもおかしくはなかった。でも何故だか私は、今の会社に勤めている間は決して変わらない習慣だろうと確信していた。

 子どもの頃からそういった、日課や生きがいともいえない習慣を続けていることはよくあった。小学生の頃には、自宅から学校までの1キロを毎日歩数を数えて通っていたり、高校生の頃でも、曜日ごとに同じ靴下を履いていた。それらは環境や立場が変われば忘れたようにしなくなったり、特に名残惜しいとも思わなかった。だから今回の、他人から見たら健康的である習慣も、私にはこだわりもないのだから、いくら褒められようが続けていこうとも思わないし、今までもそうだった。

 ある時を境にこういった癖(へき)を人に話すのはやめていた。大学生の頃だったか、昼食時に友達の一人から、毎日同じメニューを食べていることを指摘された際、私の今までの癖の話をしたときに、彼女は、家電量販店で、理由もなく同じ言葉を繰り返すロボットを見るような、好奇と軽蔑の目をしていた。それまでは褒められたり、関心を持たれる程度の反応がほとんどだったので驚いた。それ以来、特に大学や仕事先では癖の話はしないようにしていた。



 いつもと同じ時間に私の自宅からの最寄駅である枚方市駅の改札を通る。ホームにはもうすでに特急電車を待つ人たちが列を作っていた。私は適当に並びが少なそうな列に加わる。半袖の制服を着ている高校生、Tシャツ一枚、ハーフパンツの大学生。ワンピース姿の女性。暑さに耐えかねスーツを覆うようにカッターシャツをまくるサラリーマン。高校生、大学生、OL、サラリーマン、サラリーマン。顔は違えど、似たような姿を見続けているとトリックアートを見ているような感覚に襲われる。目線をそらし黄色い点字ブロックに焦点を合わせるが、自分もその塊の一部なのだと考えてしまい、逃げるように目を閉じる。それぞれが違う場所に行き着くべく、同じ時間、同じ身なり、同じ列車に乗り込む。

 数秒後、特急がホームに着く、という女性のアナウンスが流れた。表面上は暖かみがあるものの、決して剥がれない業務感のある声。待つ人たちは聞いているようで聞いていない、聞き慣れた声。アナウンスが終わる間もなく、風切りと減速音と共に洋紅色と黄土色の電車が、止まるべき場所を定めてスピードを落としていく。やがて完全に停車した電車、本来止まるべき、列の先頭の人が陣取る、黄色い三角のマークと乗降扉がずれていた。私が唯一、京阪電車に温度を感じる部分。控えめな空気圧を合図として開く扉が、完全に開ききる前から降りていく高校生、大学生、OL、サラリーマン、サラリーマン。降りる人がいないと分からないうちに進む乗車列。間に合うはずはないのに急かす駅のメロディ。この発車時のメロディが駅ごとに少しづつ違うということはたまたま見たYouTubeの動画で初めて知った。京阪電車を使い始めて3年間、気を張って観察していたのに気づかなかった。

 ビニール袋を無理やり広げて、野菜を敷き詰めるように乗り込む人たち。私は列の最後尾辺りであったから乗り遅れないように進んでいく。当然この混雑具合では座れる席もなく、好きな位置に立つこともできない。ただ流されるまま、据え置かれる。私は扉の側にある隙間にあてがわれた。壁に体重をかけることができて、乗客の乗り降りの際にも大して動かなくていい場所。

 列の最後尾の人が、片足を浮かせたまま乗り込むのと同時に扉が閉まった。人の肌と肌が否応なく触れる空間。さっきまで、鞄のキーホルダーが掠れることすら気にしていた人たちが、今はもう何よりも近くつながりあっている。私はこの瞬間がたまらなく好きだ。人の、みえない縄張りが多発して侵されていく瞬間。相手が誰であっても関係ない、気にする余地も猶予も与えない。どんな境遇でいかなる身分の人間であっても平等に誤嚥したような不快感を共有する。この人たちは車内が空けば、無意識に、いつも通りの縄張りを保つのだ。そんな、理屈では説明できないような人の可笑しさが私は好きだ。

 枚方市から樟葉まで、この乱雑状態で列車は走る。この密度ではスマートフォンを弄ることも本を読むこともできない。イヤホンを使って何かを聴くことは出来るが、私は、特に必要も感じないので持ち合わせていない。私が降りる中書島駅に着くまでの間、効きすぎる冷房に耐えながらいつも通り、行く気もない舞台公演の吊り広告を暗記する。

 目新しい広告を探していると、ある物に目がついた。広告ではない。ひとりの乗客の異様な胸の膨らみだった。女性ではない。と思う。というのもその人と私との間には人壁がいくつもあり、顔を含めた頭は見えず、何とかその人の胸部が見える程度だった。それがかえって注目してしまう原因だった。紺のメンズスーツとどこにでもあるような黒と白のボーダー柄のネクタイ。その平凡さが余計に胸の膨らみを際立たせる。人と人の間から露呈する胸部、両胸が均等に膨らんでいるわけではなく、右胸とは明らかに異なる膨らみかたをしている左胸部。おそらくはスーツとカッターシャツの間にある「何か」が、私の意識が他にいくことを許さなかった。






 京阪電車特急出町柳行、朝の通勤ラッシュピーク時であるこの列車は枚方市を離れ樟葉へと向かっている。自分の肌と他人の肌の感覚の区別が分からなくなるくらいに密着した車内で、私はいまだにひとりの男性の胸部から目を離せないでいた。あの膨らみの正体は何か。動きの取れない敷き詰められた身体とは反対に、想像だけが、加速を始めた列車と同調する。左胸、膨らみ、そういった疾患だろうか。心臓、骨、ホルモンバランスからくる身体の変形、それにしては人工的なイメージが離れない。もっと鮮明に見ようと目を凝らす。冷房の風が眼球に触れ、痛みを覚えるほど乾く。なんとなくだが形を捉えることができた。角がある長方形の物。スマートフォン、タブレット、長財布、思いつくイメージが、外に見える家屋とともに通り過ぎる。特急であるこの列車が、停車しない駅をスピードを全く下げずに通過する。その時、私の頭の中に一つの記憶が浮かんできた。

 今日の朝、支度中につけていたテレビで流れた、駅構内で人が死傷したというニュース。駅構内といっても人身事故の類ではなく、傷害事件が起こったというもの。前日の朝、通勤ラッシュの時間を少し過ぎた頃、今だに人の往来が絶えない都内の駅で、1人の男がカバンに隠し持っていた刃物で、電車を降り、改札へ向かう人々を見境なく刺していった。数十秒後、1人の駅員に取り押さえられ警察に連行されたという。3人の死亡と5名の負傷者が確認された事件。習慣的にテレビやニュースを見ない私でも飽きがくるほど見聞きしたニュース。今朝見ていた画面を思い出していると、そのときの感情もぶり返してきた。事件に対して、ほとんどのテレビ番組の内容が犯人の人格や被害にあった人たちのことではなく、犯人を取り押さえた駅員に、焦点が当てられたものだった。

 取り押さえられた時は抵抗もせず、呆然と立っていた犯人であったが、刃物を持った人間に、利用客の安全のため恐怖心を抑え勇敢に立ち向かった、ひとりの駅員を賞賛するコメンテーターや街のインタビューが、事件が起きた翌日の朝のニュース内容だった。私はそのニュースを見ていると、当たりどころの悪い指圧をされているような気分になった。


 特急電車は枚方市と樟葉のちょうど真ん中あたりを走っていた。車内は依然とした硬直状態で、乗車時はあれだけ俊敏に動いていた人たちが石膏像のように固まっている。乗車前に浮かんでいた汗が、空調で冷えて人工的な爽快感と寒気が身体を覆っていた。

 刃物。刃渡りが6センチを超える長い刃物。一般人が簡単に手に入るものといえば包丁、木材用ののこぎりだろうか。もし、あの左胸部にそれらを忍ばせるのであれば、むき出しのままということはないだろう。何かカバーやケースのようなものに納めている。それ故の長方形の角。何のために。捻り出そうとした楽観的なイメージを今朝のニュースが飲み込む。仮に、異様な胸部の持つ主である彼が今朝のニュースのような事を起こすのであれば、駅での乗り降りだろう。今は、胸から何かを出すような余裕はないし、たとえ出来たとしてもせいぜい近くの人間に突き立てる程度だろう。それでは昨日の事件のようなことにはならない。この電車は、あと数分で樟葉駅に着く。声を出して、この異常を車内に知らせようか。でも、もし違えばどうする。明日の朝のニュースには英雄とまつり上げられた駅員とともに、車内から撮られた、奇行に出るモザイクがかった私が流れるだろう。私は自分の保身を第一に考えることにした。どう動けば無事でいられるだろうか。どう動かなければ健在でいられるだろうか。胸部と私とは距離にして2mほど。何度も繰り返されるイメージ。何人もの私がブラウスを赤く染めて、車内から見える川に沈んでいく。

 ちょうど10人目の私が沈んだ頃、電車が樟葉に着くというアナウンスが流れた。腋下を通る汗が冷房によってさらに冷たくなっていく。電車は微かな揺れをきっかけとして徐々にスピードを落としていく。車内から見える河川敷の緑がいつもより淡く見えた。



 電車がまた止まるべき場所を定めてスピードを落としていく。ホームには枚方市で乗り込んだ半分ほどの人たちが列をつくっていた。さっきと同じ、私が立つ右側の扉が開く。当然この混雑状態では、降りようとする人も、乗ろうする人も動けない。こういった場合は、まず扉に近い人たちが降りて空間を作り、降りる人たちが扉を通る。そこからまた、扉付近の人たちから乗車をしていく。練習をしたわけでも、合図を出したわけでもない、円滑な無駄のない流動。毎日、停車駅に着く度に見られる空気の流れ。

 私は迷っていた。降りて足早にこの異常から離れるか、このまま動かずに意識だけを彼に向けるか。私は今まで感じたことのない好奇心に駆られていた。私は見たかった。もしかしたら私の命を奪うかもしれない男の顔を、その風貌を。

  誰からみても面白みのない平坦な人生だったけれど、それでも、ただ膨らんだ胸部に壊されるのは嫌だ。

 私は後悔した。さっき声を出して車内の異常を知らせれば良かった。ニュースに流れたモザイク顔の女として生きることを選べば良かった。そうすれば、死者1名。ただの数字として流れることはなかっただろう。私は急にそうなる事が怖くなった。

 私は今まで以上に、彼の胸部に集中する。私と胸部の間を人が通り過ぎる。降りる人、乗ってくる人、必然的に私の視線が遮られる。コップとボールを使ったマジックを見せられている気分だった。人の往来の度に見切れる胸部。乾く眼球。やがて流れを止めた人の流れ、気がつけば扉が閉まっていた。誰も倒れていない、悲鳴も聞こえない。包丁が刺さっている人も、刺している人もいない。

  私は電車が発車してようやく、着ているブラウスの脇腹の部分が、自分の汗で黒く染まっているのに気がついた。





 京阪電車特急出町柳行、今朝の8時ごろに枚方市を発車したこの電車は、樟葉駅を過ぎ、私の降りる中書島駅へと向かっている。さっきと何も変わらない。私が立っているのは扉の側の隙間で、車内も、身体を触れ合わせて固まるしかない人たちで埋め尽くされている。樟葉駅から中書島駅までは特急電車で約15分くらいの時間がかかる。大阪と京都の県境を通り、京都競馬場のある淀駅を過ぎたところに中書島駅がある。平等院がある宇治を終点とする京阪宇治線もその中書島駅から出ている。


 私はあの胸部をさがす。胸部の持ち主である彼をさがす。樟葉駅で降りた人たちの中にそれらしき人はいなかったし、号車間の扉へと行ける隙間もない。なにより彼は、まだ何もしていない。何も成し遂げていない。

 見つからない。少なくともここから見える範囲からはいない。この密集度ではそう簡単に動けるはずもないから、人壁に被って見えないだけなのかもしれない。

 私はまた恐怖を覚えた。この密閉された空間に確かに異常があると分かっているのに、それを目にすることができない恐怖。何かが私の心臓を撫でているのにその行方を知らない恐怖。あの胸部は、もう私の目前にあるのだ。あの包丁が私の背中に食い込んでいる。血は、いつ形を作ってもおかしくない。見えなくなったことで肌に触れた冷たさが、私の頭をセメントみたいに固めていった。

 効きすぎた冷房のせいで、少しの腹痛を覚える。逆方向の電車とすれ違う。視界が深い緑になる。あともう少し、あともう少しで中書島駅に着く、そうすればいつものように会社へ向かう。この異常からも抜け出せる。考えるのをやめようとすると、ますます頭にこびりついたあの胸部が鮮明に現れる。いつからあの胸部はこの車内にいるのだろう。いつまでいるのか。たとえ、彼が降りたとしても、私の中に塗りたくられた胸部が反射光みたいに私の視界を遮る。

 私は目を閉じて、別の事を考えることに専念した。あの胸部を、異様な膨らみを、違う記憶で塗り隠そうとした。今朝のニュースではなにをやっていただろうか。件の事件の他には何が流れていただろうか。芸能人のゴシップ、真夏日を伝える天気予報、根拠のないストレッチ特集、簡単に作れる少しリッチな朝ごはん。使われていた食材にベーコンがあったのを思い出した。その時私が食べていたのも、ベーコンを使った目玉焼きだったからよく覚えていた。その番組のコーナーでは、私が食べていたような薄いベーコンを使ったものではなく、厚焼きベーコンをまさに贅沢に、まるごと使ったサンドイッチが紹介されていた。朝食にそんなものを食べると、胃もたれを起こしたりしないだろうか。未だ消えない口の中の油が、微かな記憶を鮮明にしてくれる。

 生放送のニュース番組では、笑顔が特徴的な長身の男性アナウンサーとエプロン姿でかしこまった女性アナウンサーが、目がチカチカするカラフルで雑多なスタジオセットの中、簡易的なガスコンロに、テフロン加工されたフライパンでベーコンを焼いている。ガンマイクが、わざとらしい肉の焼ける音を拾う。強すぎる照明がベーコンの油に反射して画面に散らばる。その全てが嘘っぽくて、即席的に見える。きっとテレビ局のどこを探しても、この生放送の撮影は行われていないだろう。その中でも唯一、フライパンの上で焼かれている厚焼きベーコンだけが現実味を帯びていた。ベーコン以外の物が偽物であるがために、余計にその印象を強くする。ベーコンだけが形を持って他のものが平面にあるような凹凸。

 四角い長方形の厚焼きベーコン。今朝、賞賛された駅員よりも私の中で生気を放つそれは、押しとどめようとしたあの胸部と重なった。



 京都に入り中書島、続いて丹波橋へと向かう特急電車は踏切の安全確認の為スピードを抑えて走っていた。減速して走行するせいで、へそ下から預かりの知らない浮遊感を覚える。以前から多発している、踏切での人身事故を、予防するための減速だという。外に見える景色の流れがゆっくりになって、見続けていると少し酔いそうになった。


 包丁ではなく、厚焼きベーコン。それがあの胸部の正体。そんなはずがない。人類の歴史の中で、懐にベーコンを隠す人よりも、包丁をしのばせる人の方が多かったに決まっている。そもそも目的が分からない。包丁をしのばせるのは?もちろん何かを切ったり、刺したりする為だろう。ベーコンは?食べる為。それでは彼のスーツはベーコンの油まみれになっているだろう。

 そうではないと、ありえないと分かっているのに、あの鋭利さから逃げる為、藁に、厚焼きベーコンにすがる。まもなく中書島に着くというアナウンスが流れた。女性の声が、今まで以上に私の中で反響した。

 電車が止まる。弱いブレーキを何度も重ねて、静かにホームへと辿り着く。私にはそれが、何かを眠りから起こさないためにしているのだと思った。私が立っている方とは逆の、左側の扉が開く。私は綱渡りをしているような足取りで、人の塊から抜け出す。ホームで待っていた数人が乗り込むと間髪開けずに扉が閉まった。電車がまたゆっくりと速度を上げていく。ホームで立ち尽くす私を、名残惜しく、擦るように風が吹いた。




 京阪電車特急出町柳行、中書島を過ぎたこの電車は昨日と同じように走っていく。何事もなく。終点の出町柳駅へと向かっていく。車内は相変わらずの団子状態で、誰が自分に触れているのか、どんな人が車内にいるのか分からないまま走っていく。私はいつも通り会社へ歩いていく。いつもと同じように。

 中書島駅の改札を出た時何故か、全身がヒリヒリとした感触と、汗ではないベトベトしたものに覆われているように感じた。



 私は次の日の朝、今までとは違う時間に起き、支度をして、自宅を出る。惜しくはなく、今はただ水平線から膨らみを探している。。

                                                                  〈終〉

 



 

 

 


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