「線は、僕を描く」
「線は、僕を描く」砥上裕將
まるで水墨画が見えるような描写だった。
直向きに水墨画を描く登場人物たちがとても美しく見えた。
芸術というものは、人間の心の内面を表したもの。
絵を描くことと楽器を弾くことはフィールドは違えど根本的には同じで、ピアノを弾いている私にとっても多くの気づきがあった。
(芸術系の小説を読んでいつも思うのだけど、どうして絵とか音楽とか目に見えないものを言葉にできるのだろう…本当にすごい)
芸術に限らず、このことは日常生活においても言えることだと思う。
私は失敗は悪いことではないと思っているけど、楽しいと思ったことはなかった。なんでできないんだろう、もっと頑張らなきゃと思ってしまう。ついつい失敗しないように慎重に行動してしまう。
でも失敗することを面白いと思えたら。そうしたらもっと大胆になれるのかな。
私もよく「まじめすぎる」と言われる。ピアノでも日常でも。
でもそれがどういう状態なのかちゃんとはわかっていなくて。「まじめ」の反対は「まじめじゃない」ってことだと思っていて、それは「ふざけてる」ことじゃない?でもふざけてなんていられないし…と考えていた。
「まじめ」=「孤独」という発想はなかった。
3人きょうだいの長女で、他の子よりいろんなことがちょっと上手くできたから小さい頃から頼られることが多くて。
「自分はしっかりしてなきゃいけないんだ」という思いはずっとあった。
それに加えて周りとは全然違う考え方をしていたから「誰も私のことわかってくれない」とも感じていた。
仲間外れにされたりとかはなかったし周りの人たちとうまくやっているけれど、人といてもなんだか「独り」だなというもやもやした気持ちを抱えている。
だけど私たちは本当にひとりぼっちになることはできない。
着るものも食べるものも住むところも一からすべて自分で作ったものではない。誰かが作って、届ける誰かがいて、私たちの生活は成り立っている。
生まれてきたのだって突然地上に現れたのではなくって、何十年も何百年も前からの繋がりの中の一部に私がいる。
…そう考えると今まで考えてきたことが何だかちっぽけすぎて馬鹿らしくなってしまった。
私は孤独じゃない。
というか孤独だと感じるのも周りの人がいるからこそで。
世界との繋がりを意識して、もっと広い視野で生きていきたい。
これこそ芸術の本質だと思う。
素晴らしい演奏を聴いたとき、絵を見たとき、演劇を見たとき、「ああ、生きてる」と思える瞬間がある。
本当に数回だけだけど、自分で演奏していてそう感じたこともある。
「命といっしょに」なんて壮大すぎるけれども、その域を目指して、これからも芸術と向き合っていきたいと思う。
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