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貧 乏

夫の映像の仕事は有ったり無かったり、と言う事は収入も有ったり無かったり。

その頃私は市の外郭団体で嘱託職員として雇用され、豊かでは無いが親子四人で暮らしていた。

そんな折、沖縄出身の旧い知人に誘われて、夫は沖縄の映画社に長期助っ人としてカバン一つ持って出かけた。

お正月には沖縄出身のスタッフも、東京都下に自宅があり家族もいるので帰省。寮がからになるので自由に使って良いと言われ、飛行機代を捻出し大喜びで母子三人で出かけた。

沖縄では主に橋梁建築等の記録映画の演出をしていたが、フリーになるきっかけとなった監督さんの助監督としてドキュメンタリー映画を制作ーこれは現在も語り継がれている名作。

一世帯の全員の合計収入が一定より低ければ都立高校の授業料免除が受けられる制度を知り、長女本人にも確認のうえ申請し免除された。

後に、担任からクラスメートには教室で授業料納付通知書が配られるのに私だけ貰えなかったのはちょっと悲しかったけどね、と言われた。

沖縄を引き揚げて来た頃には、テレビもビデオキャメラで撮影するのが主流になって来ていて、フィルムの映像の仕事は殆ど無くなった。

編集もネガ編ではなくデジタル編集になり、長く民放テレビの一時間人気レギュラー番組の編集を徹夜徹夜でやってきた友人も仕事が激減。


映画・フィルムの世界のことをよく知らない私には、時代の流れだろうと言うようにしか見えなかった。

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