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一方通行はかなしい

生きていて、「あー一方通行だな」と思うことがたまにある。

例えば話をしたときに、そこにある感情がうまく伝わらないとき。
楽しかったことうれしかったことを話しても、「楽しさ」とか「うれしさ」が上手に共有できなくて、「そうなんだ」とか「ふーん」って流されてしまうような。

例えばすごく好きな人がいたとして、相手からそう思われていないとき。

例えば仲のいい友達がいたとして、相手にはもっと仲良しの友達がいたとき。

例えば一緒に遊んでいたのに、相手にはその遊びの向こうに、別の目的があったとき。

こういうとき、自分の感情をどこに持っていったらいいのかわからなくて、ただただしょんぼりする。

がっかりしたくない。されたくないし、させたくない。
大事にしたい。大事にされないけど、大事にされたい。
いろんな関係の中で、ないがしろにされたとは感じたくない。
いつもこんなふうに考える自分が悪い、仕方ない、と思って飲み込むけど、それには小さな棘がたくさん生えていたりして、嚥下にはすごく苦労する。
丸ごと飲み干してお腹の中に入っても、しばらく痛いこともある。

アドラー心理学に、「自分の心は変えられるけど、他人の心を変えることはできない(難しい)」というものがある。
自分と他人を分けて考えるのは大事なことだ。
わたしにわたしだけの意志があるように、他人にも、そのひとだけの意志がある。思考がある。

それはわかっているし、当然のことなんだけど、
それでも、同じ方向を向いていられないことは悲しい。

同じものを好きでいられない。
同じものを好きになれない。
同じものを楽しめない。
同じものを笑えない。

全部悲しい。

でも同時に、わたしはわたしだけの意志があることをすごく誇らしいことだと思うときもあって、
みんなが笑っているものを笑わない自分で良かったと思うときもあるし、
みんなが好きなものを好きじゃない自分で良かったと思うときもある。

いつも自分の中にある矛盾と、「これはいいけどこれは許せない」の、その間にある、些細な(他人から見たらきっと、より些末な)境目に苦しめられる。

この矛盾が少なくなって、この境目がもう少し広がったら、きっともっと生きやすくなるんだろう。
もしかしたらそれで、「一方通行だな」と思う悲しさも、少しは減るのかもしれない。
今よりも呼吸がしやすくなるのかもしれない。

でもやっぱり、同じ感覚じゃなかったことが、わたしは悲しくてたまらない。


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