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大人になる

大人になったら心も体ももっと強くなって、ちょっとしたことで落ち込んだり悲しくなったりすることはなくなって、自分をコントロールして、毎日楽しんで過ごせるようになるんだと思っていた。
けどきっとそんなことはないんだろうな、ずっとこの、すぐに落ち込んだり悲しくなったりして、夜電気を消した後に何か泣きたくなったりする、そういう自分のままで生きていくような気がしてる。

Twitterのはなし。
最近(でもないけど)、よくフォロー外のいろんな人がやってるスペースを、ラジオ感覚で聞いている。
一般人が話す内容だから、内輪ネタすぎてわからなかったり、滑舌も良くなかったりするし、何ならまとまりもないし、理解できないままに終わることもある。
ただ、声が好きな人のスペースはいくら聞いていても耳にいいし、理解できないのがちょうどいい、とわたしは思ってる。だいたいほかの作業をしながら流しているので、話の内容が頭に入ってこないくらいのライトさがちょうどいい。

具体的にどんな内容だったか、とかは正直すぐに忘れちゃうんだけど、でもなんか「あの人また他人の悪口言ってたな」とか、聞き終わった後にそういう印象はしっかり残る。
で、恐ろしいのはそのなかに、意識的になのか無意識的になのか、いじめをしているひとたちがいることだ。

ネットいじめって学内のLINEグループとかそういうところだけかと思ってたんだけど、Twitterの、しかもリアルではほぼ付き合いがないであろう赤の他人の集まりでしかないアカウントで、特定の誰かを弄って笑っている。
わたしにとっては何の関わりもない人たちだから、「この人がそんなことをしてるなんて」、みたいな感情はない。
だけど、学生ではなくて社会人の、いわゆる「大人」がそんなことをしているというのは、結構ショックだった。

学校でも、テレビでも本でもどこでも、あれだけ、「いじめはよくない」と言われているのに、大人になってもそういうことをして楽しんでいる、笑っているひとがいるというのが、本当にしんどい。

大人って何なんですかね。

社会人になったら大人なのか、一度でもセックスをしたら大人なのか。
えらそうに他人にアドバイスする前に、どうか鏡でも見てほしい。さっきまで他人を馬鹿にしていた口で、優しい自分なんて謳ってはいけない。

ずるいな、と思ったのは、その人たちは自分たちの逃げ道をしっかりと用意していることだ。
何かあったときに「そんなつもりはなかった」って逃げられる程度のやりかた。とても汚い。
年齢を重ねて、そんなところばかり上手になっていくのが「大人」なんだとしたら、未来に絶望する。
で、そういう人たちの話をその場でしっかり聞きながら、「良くないからやめよう」のひとつも言えない人間にも絶望する。
波風立てず、当たり障りなく生きていくことを覚えた結果がそれなのかもしれない。
そういう人たちは、自分を嫌いにならないんだろうか。何も言えない自分を、言わないことを選んだ自分を、恥じたりしないんだろうか。

わたしは、ネットの、しかもTwitterなんて、リアルと違っていつでも切れる糸みたいなものでしかないと思ってる。
そうじゃない人たちが、「FF(フォロイー、フォロワー)は友達だと思ってる」みたいなことを言うのをちょくちょく耳に(目にも)するし、わたしも前はそうだったらいいなと思っていたけど、やっぱりリア友と比べたらどうしたって関係は希薄だ。優先度だって全然違う。
でももし、「FFは友達」だと本心から思っているのならば、「友達」がいじめをしてたら止めてほしい。
見て見ぬふりをするのは、何歳だってダサい。

上手い逃げかたばっかり覚えて、ただ年を重ねただけの「大人」にはなりたくないな、と思ってる。
自分を出したら失われる程度の関係性は、最初からないものと同じだ。
最初からないものにしがみついたってしょうがない。
何歳になったって、よくないものとは戦っていきたい。
戦ってもまだ残るものだけ大事にしたい。

人を弄って笑いがとれるのはプロの芸人さんだけだと思ってる。
弄りといじめの違いもわかんないようなつまんない人間が、どうか今すぐ消えますように。


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