ばいばいxxxちゃん

コロナの流行が始まったばかりの時期、大人たちが未曽有のウイルスに怯え切って外出を禁じてしまったような時期、そのせいで楽しみにしていた沖縄旅行とかグランピングとかの予定がすべてぶっ飛んでしまった時期、
正しく自室にしか居場所がなかったわたしの楽しみは、Twitterを眺めることだった。
TiKToKはダンスを上げるにしても練習してからじゃないとどうにもならないからめんどくて少し苦手。
インスタは好きだけど、家にしかいなかったものだから、上げる画像が何もなかったし、ストーリーで言いたいこともとくになかったから、その時期はほぼ見る専だった。

どういう流れでかは覚えてないけど、Twitterで「なりきりアカウント」っていうのを見つけた。
いろんな作品のキャラクターになりきってツイートする。それだけじゃなくて、オリジナルのキャラクターを作って、やっぱりなりきってツイートしてる人たちもいた。

素直に「おもしろそう」と思った。
あまりにも閉塞的でつまんない日常を、変えられるような気がした。
わたしも作りっぱなしでまったく使ってなかったアカウントを再利用するかたちで、とある作品のキャラクターになりきってツイートした。
フォロワーが増えて、いろんな人たちのなりきり垢と会話をするようになったときに、DMが来た。
わたしがしたツイートについて、「このツイートは解釈違い」っていう内容。
「そもそも二次元のキャラクターはTwitterなんかしないのに解釈もクソもないでしょ」って今なら思うけど、その頃のわたしは打たれ弱く素直だったので「すみません」と謝ってそのツイートを消した。
で、そこからはもう何も楽しくなくなってしまって、
だって何をツイートしても「解釈違い」って言われるかもしれないし。
そんなわけで、わたしの楽しいなりきりアカウントライフはひと月立たずに幕を閉じたのだった。
悲しいね、バナージ。(悲しいときこれ言えばいいと思ってるところがある)

でも暇つぶしにはやっぱりTwitterが最適で、じゃあどうやって遊ぼうかって考えたときに、「他人の解釈とかが発生しないオリジナルキャラクターなりきりをしよう!」ってなった。
そんな感じで生まれたのが「あいりちゃん」。
カスタムキャストっていうアプリを使って、髪の色とかなんとなく雰囲気を自分に似せて、でももっとかわいい女の子。
フォロワーを手っ取り早く増やすにはエロだ、ってなりきりアカウントをしてたときに学んだから、思いつく限りのエロい文面でツイートをした。
ほかにも、いっしょに遊んでくれてた成人済の友達といっしょに、「これなら釣れる」って笑いながらエロツイートの文面を考えた。
友達にえっちな画像を作ってもらって、それを貼り付けてツイートしたりもした。
思い通りに釣れた時は気分がよかった。
安い全能感に満たされた。

なりきりイメプ、っていうのを覚えたから、DMでえっちなイメプもしまくった。
よくわかんない描写をいっぱいした。
無駄にスキルアップしていく早打ち。
擬音と喘ぎ声のバリエーションも増えた。
わたしは生来学ぶことが好きなので、その気質が遺憾なく発揮されてしまったように思う。
でも同じくらい飽きっぽく、同じくらい、他人からぶつけられる性欲への嫌悪感もあった。
ふつうの会話をしていた人が、急にエッチなイメプをしたがる、そのギャップに心が付いていけなかった。

昔からそうだけど(といってもわたしは10代で、性を知ったのなんてたかだか数年前でしかないんだけど)、相手と同じタイミングで性欲が湧かないことが多くて、その溝をわたしがエッチな振る舞いをすることで埋めないといけないのが本当につらかった。
初めて付き合った人も、二度目に付き合った人も、付き合うところまでいかなかった人たちも、彼らがわたしに欲情するとき、わたしはたいてい凪いでいる。(もちろん例外もあるんだけど)

Twitterでも同じだった。
「こう反応したらたぶん嬉しいんだろうな」って思いながら、エッチなイメプを繰り返した。
「すごく良かったよ、リアルでもたくさん射精したよ」って言われて、「ほんとですか♡ ありがとうございます…♡」って返しながら、ずっと真顔だった。

なりきりイメプだけでなく、フォロワーが好きな「催眠」とか「洗脳」とか「女性上位」「マゾ向け」みたいなあたりのアカウントを覗き始めた。
何もかも知らないことばっかり。
そのなかで、わたしは「女の子に負けたい」と思っている男の人がいることを初めて知った。
知らないことを知るのは楽しかったし、わたしの暇つぶしに付き合ってくれるフォロワーたちを喜ばせたい一心で、そのあたりの小説なんかを読み漁って、感想をツイートしたりした。

そうこうしてるうちに夏休みに入って、いよいよやることが勉強かTwitterくらいしかなくなった。
受験生だったけど成績は良かったし、先述の通り勉強も苦ではないタイプなので、人並みに不安はありつつも「まあこのままやってれば志望校には余裕で受かるだろうな」という感じだった。
なので焦ることもほぼなくて、目の前に広がるのはただの暇の海……。

さてこの暇な期間をどう埋めるべきか……。
って悩んでた時に、「面白いアカウントがあるよ」って当時のフォロワーに教えてもらったのが、「成れの果て」と、今は亡き「男尊」と、その周囲のアカウントたちだった。
リストに入れてとりあえず見てようって思ってたけど、あまりにも生き生きとTwitterを楽しんでいるものだから、なんかいっしょに遊びたいなと思って、比較的まともそうな「成れの果て」に話しかけた。
急にリプしたけど、ふつーに返事をくれたので、フォロワーといっしょに「え、もしかしていい人なのかなw」って笑い合ったりした。
そこからいろんな人たちと繋がって、なんか夏休み開けても3か月くらいまでは、ほんとに毎日ゲラゲラワッハッハな日々を過ごした。
ツイキャスで配信してフォロワーとおしゃべりをすることを覚えた。
フォロワーの配信を聞きに行くこともあった。
フォロワーと通話をしたりするのも初めてだった。

でね。男尊ってひと(わたしはクマちゃんって呼んでた)はすごく不思議なひとで、マゾ向けイメプのド初心者だったわたしと、ほんとにびっくりするくらいいっぱい遊んでくれた。
わたしが見よう見まねで打った5行程度の文章に、誇張なしで10倍くらいのお返事を打ってくれる(しかもめちゃくちゃ早い)ひとだった。

自分がしてほしいことを押し付けない、けど上手に誘導してくれる文章で、まるでわたしが上手に責めてるみたいに思わせてくれる。
クマちゃんとのイメプ内容のスクショをツイートすると、ふしぎと「あいりちゃんすごい」ってわたしの責めが上手いみたいに褒められた。
そのたびに、いやほんとはわたしじゃなくてクマちゃんが上手いんだよって思いながら。

クマちゃんは、普段はマゾついてるくせに、わたしが不用意な発言でフォロワーを怒らせちゃったときなんかは、すごい真面目に相談に乗ってくれたりもして、そのギャップがおもしろかった。
恋愛感情ではなかったけど、すごく大好きなアカウントだったので、そんな人が「アカウントを消す」って言い出したときは本当に悲しかったし、漠然とだけど、「ああわたしのTwitter遊びもこれで終わりなんだなあ」って思った。

クマちゃんがいなくなったあとはイメプなんかする気にもなれず、ただダラダラとよくわかんないままアカウントを続けてた。
「Twitterってそういうものだから」って何事もなかったようにやり過ごせるほど大人ではなく、かと言ってわあわあ無邪気に毎日悲しめるほど子供でもなく、わたしはつまんないわたしのまま、つまんないツイートを毎日した。

クマちゃんがいた間も、消えてからも、
クマちゃんみたいにマゾつかされたいっていうひと、
クマちゃんの代わりにマゾつきたいっていうひと、
いろいろな人からDMがきた。
わたし、そういうのがみんな嫌いだった。
だってマゾイメプはクマちゃんが上手だから成り立っているだけであって、わたしにはなんの力もない。
そもそもS女ですらないんだもん。
クマちゃんが打てば響いてくれるから楽しかった。
打っても響かない、責めてもらえるのを待ってるだけのマゾと話しても、虚無もいいところだった。
いい年した社会人のひとたちが、どうにかしてマゾつきたがって媚びてくるのが嫌だった。
わたしにだけじゃなくて誰にでも媚びて、結局何もかも性処理の道具でしかないっていうのがわかるのも嫌だった。

それでもあの楽しかった3か月くらいと同じ楽しさをもう一度味わいたくて、いろんなことをしてみた。
いろんなひとを責め責めしてみようとした。
けどやっぱり無理だった。
「マゾです」「いじめられたいです」って言って横たわっていればなぜか望んだ責めを受けられると思っているマグロおじさんたちを前に、クマちゃんはやっぱり天才だったな~って、溜息をつく。
クマちゃんを中心にいろんな人たちとわちゃわちゃした、あのときに並ぶようなおもしろさは、どうやったって得られなかった。
何をしても、「つまんないわたし」の日常の続きがあるだけ。

そのうち、エッチなことを何もしない、ふつうのアカウントになった。
いよいよツイートすることがなくなって、本垢のツイートをコピペしたりもした。
クマちゃんが戻ってくるのを待ったりしながら、
でも周りは相変わらず、楽しそうにマゾついてる。
そりゃそうだ。みんなもともとそういうエッチなことをするためのアカウントだから、そのアカウントとしての活動をしているだけ。
みんなの「楽しさ」にわたしはついていけなくて、でもなんとか追いつこうとして、ダメだった。

諸行無常だし、栄枯盛衰だし、始まりがあれば終わりはある。必ず。
というわけで、「あいりちゃん」は終わりました。
おつかれさま。楽しい時間をありがとう。
みんなの好きなものを、ことを、好きなひとたちを、わたしも好きになりたかったよ。
クマちゃんはいつでも帰ってきてください。
責め責めでもいいし、そうじゃなくても、お話しましょう、わたしと。
またいつかいっしょに遊びましょう。

次は何する? 何して遊ぼうか。
暇つぶしには、やっぱりTwitterがいちばん楽って思う。
でもきっとあんなにおもしろいこと、もうないのかもしれないな。

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