魔女の宅急便 どこにでもいる魔女の話

わたしは、「15歳を拗らせた」17歳である。
自分はどこか人とは違うという一ミリも根拠の無い自負を持ち、たまに「変わってるね」と言われ、そう言われる自分が割と好きで、携帯のバッテリーはいつも10%台。そんな世の中にホウキで掃いて捨てるほどいるであろう17歳だ。

そんなよくいる女子高生の私は、某新型肺炎により突然できた余暇(などというと大人たちから叱られてしまうかもしれないが)を大学受験への焦燥と共に過ごしていた今日、金曜9時のロードショウで、じんわりとした衝撃を受けた。
今までの人生で何度も見たはずの「魔女の宅急便」である。
魔女のキキが黒猫のジジと共に海と時計塔のある街で魔女修行に励むという、かわいらしく心温まるストーリーのこの映画について、私は今までジジが愛らしいな、その程度の感想しか抱かずにいた。
しかし、今日、少女を卒業しつつある17歳のわたしにこの国民的映画は本当に強く響いたのだ。
この「魔女の宅急便」は単なる子供向け雰囲気映画ではない。
少女の成長とアイデンティティの確立を、「少年少女時代を過ぎ去った大人が要約することなく」描き出した稀有な作品なのだ。


この「魔女の宅急便」の中で私が強く感動したのは「キキの成長のリアルさ」と「登場人物の持つ特長が能力ではなく個性であること」だ。
この映画を見た時に、わたしははじめ、ある部分に違和感を感じた。
それは海の見えるあの街に最初にキキが現れたとき、少女が空を飛んでいることに街の人びとがさして驚かないことだ。
もしわたしが自分の住む町を歩いている時、ふと上を見上げた時女の子が黒猫と共に飛んでいたらさぞ驚くことだろう。
しかし、この違和感は物語が進むにつれて解消されていった。
この映画の中では、キキが魔女であり、黒い服を着て猫と言葉を交わし、空を飛ぶのは珍しくはあれど、特別ではないのだ。
わたしはここに、この映画におけるアイデンティティの描き方の素晴らしさを感じる。
私たちは日々生きていく上で自分と他人を比べ、劣等感を感じて生きている。
わたしはあの人に比べて要領が悪い、成績が低い、くちびるが厚くて不格好だ、人に気に入られるのが得意ではない。それに比べてあの人はすごい、特別だ、自分も特別でありたい、息苦しい、先が見えない。
そんなふうに自分の持っているものをいわば点数化して、能力として人と比べがちな私たちに、キキやその周りの人々は大切なヒントを与えてくれるとわたしは思う。
魔法が使えなくなり、落ち込むキキにキキの友達の森に住む絵描きであるウルスラは言う。
「絵も魔法も同じようなものだね。〜中略〜
魔女の血、絵描きの血、パン職人の血…神様か誰かがくれた力なんだよね」

つまり、自分の持っている才能、情熱はそれぞれの個性であり物差しではないのだ。
「みんな違ってみんないい」。よく言われる事だが、「魔女の宅急便」の世界観は、このありきたりで、本当に大切な真理を表していると思う。


もう一つ、私が感銘を受けた点は、キキの成長が非常にリアルで、着実でゆっくりしたものである、という点だ。
キキは、新しい出会いや苦難に直面することで人間として、少女として、魔女として成長を遂げていくのだが、この過程の描き方にこの映画の真髄がある。
思春期の成長をテーマにした物語を書く場合、だいたいは少年少女が苦難を乗り越え、大人へとランクアップする、といったプロットになりがちだ。
これも感動的で良いのだが、私はこのような筋書きに「成長が突然過ぎるな」と感じるのである。
登場人物が何かと戦うなりして大人になる。
これが映画一本、小説一作で完結するのはいささか早急すぎて共感する間もなくなってしまう。
それに対してこの「魔女の宅急便」の中で、言ってしまえばキキは対して成長していない。キキは全編通して意地張りで、あまり後先を考えないまっすぐな女の子である。
しかしこれこそがリアリティではなかろうか。
本編の中で、とても印象に残っているシーンがある。
それは、キキがとんぼと飛行船を見に行った時にトンボの派手な友達と出くわし、不機嫌になって帰ってしまうシーンだ。
このシーンで、わたしは思わず深く頷いてしまうほど共感した。
派手な格好をした、「イケてる」女子に対して感じる情けなさ、これが13歳の頃の自分に物凄く見に覚えがあったのだ。
この感覚は、大人が考えたにしては少し気持ち悪いくらい、13歳の感覚として余りにもリアルだと思う。
側から見たら、13歳で仕事を見つけて頑張っているキキの方がクラクションを鳴らして車を乗り回す彼女よりもずっと立派だ。
しかし、ティーンの感覚だとどうしてもそう思えない。流行りの服を着てパーティに毎日出かける彼女に対する惨めさはどうしても拭えないのだ。
キキが大人だったら、きっと怒って帰ったりしないだろう。
このあたりに、この映画の細やかさを感じる。
私たちは、ゆっくりと大人になっていく。
それはあまりスムーズなものではないはずだ。キキのように、頑張ったことが報われなかったり、おかしなプライドで間違った方向に進んでしまったりする。
その中の成長など、微々たるものではないのだろうか。その微々たる成長のために落ち込んで、踏ん張って、慣れない環境でも笑顔でいようとするキキの姿が、この映画が共感を呼び愛される理由なのだろう。そう思うのだ。


わたしは、今までの人生の中で、自分の考え方に影響を与える映画に出会ったことがなかった。
しかし、この幼い頃からみていた「魔女の宅急便」という映画に「自分は特別でありたい」という考え方を魔法のように変えられてしまったのだ。
それは、実はすでに変わりつつあった自分の考えに気づかされただけなのか、それともこの映画が変わるきっかけになったのかは分からないが、きっとこの映画におけるアイデンティティの描き方や、等身大の成長が今、17歳のわたしにちょうど良かったのだろう。
キキは、エンドロールのあともきっと大いに悩みながら大人になっていく。
1年後、修行を終えた頃のキキはどんな14歳なのだろう。
デッキブラシを返したあと、自分で作ったホウキで空を飛んでみるに違いない。
きっと、またドジを踏みながらも、宅急便を続けているだろう。
「イケてる」女子にクラクションを鳴らされて、腹は立てるにしろもう傷つくことはなくなっていると良いな。
この作品の面白いところは自分の年齢、立場によって共感する人物や見方が変わっていくところだ。
次、わたしが「魔女の宅急便」を観るのは、多分、わたしが独り立ちした時だろう。
きっと大人になって、独り立ちしたわたしは、また違う人物の言うことに深く頷いて、この海の見える大きな街に心をときめかしている。
慣れない新しい部屋で、ちょっぴり焦げたホットケーキでも食べながら。


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この作品は、13歳の見習い魔女のキキの成長物語だ。キキは修行のため生まれ育った故郷を離れ、見知らぬ街で出会った人々に助けられながら数々の苦難を乗り越え成長する。

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