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清透大学附属高等学校映画同好会から君によろしく

「君は生卵をどう理解する?」
 陽光により赤く染まる髪を揺らし彼女は言った。暖かな夕日は背を照らし、ぬるい風が二人を遊ぶように撫でている。質問の意図が理解できぬ少年によって、部屋に数秒、暖かな空白がもたらされた。
「それはどういう意味……ですか?」
 彼は偽ることが不得意だった。思ったことを思ったままに口にする。しかしこの性質は不思議と空間に心地よい作用を起こしていた。
「ナニ、そのままの意味だよ」
 彼女の柔らかい微笑みは、物が乱雑におり積み重なった映画同好会の部室の中で不釣り合いに輝いていた。
 若い女性特有のある種の高慢さを彼女も、もれなく保有しており、その高慢さは少年の感情を刺激し、何かこちら側から伺わなければいけないような、臣下のような気持にさせた。
「それは、食材としてどう思うかという話ですか?」
「もちろん食材としての意味だよ、いやそれは生物としての意味を包括しているがね」
 けむに巻くようなその口調に面くらい少年は思わず少女の顔を覗き込んだ。しかしそこにはすべてを知っているような顔で微笑む女がいるばかりで少しの答えも得ることはできなかった。
 こうした一種の緊張状態に持ち込まれたとき人間は特有の反応をしめす。彼は神経質そうにこめかみをガリガリ、と掻いた後、鋭く息を吐いた後話題を変えることを選んだ。
「最近、すっかり寒くなってきましたよね」
「話を逸らすんじゃない!!」
 お叱りを受けてしまった……三年へと昇級し大人の自覚が芽生え始めた少年にとって真正面から叱られることは大きな精神的打撃であった。ストレスから逃避しようと目線は彼女から零れ落ち窓の外、野球部の怒号ともとれるような掛け声響くグラウンド側へと追いやられた。
「目もそらすな!!」
「はい……」
「つまりだよ、生卵というのはほかの食材より命を連想しやすいだろう?これを君はどう考えているのかが聞きたいんだ」
「そうだな……タマゴはすごく好きです…僕たちは命を消費して生きてますけど、卵は産まれてくる前の命なわけで、だからその…苦痛がより少ない食材だと思うんです」
─なるほど。
 少女は話を聞きながら相槌を打っている。その手にはいつの間にか鶏の卵が握られていた。
「確かにそうだ、しかし我々が食している卵のほとんどは無精卵なわけだよな。だから苦痛とか考えなくてもよいのではないか?それはただ命の形をした栄養だろう?」
「そうですね、確かにそうかもしれないですけど、確実にこれが命ではないと僕らは言い切ることはできないですよね。少なくとも目視では判別できない」
「シュレディンガーよろしく、というわけだ」
 彼女は少年に白く輝くそれを差し出し、手に取るように促した。少年もためらわずにそれを受け取り、少し女の体温の残ったソレを眺める。
「あらゆる苦痛は解消すべきだと思うんです、だから僕は、卵がすごく好きですね」
「しかし、君は卵について考えるときに味ではなく苦痛から語るんだな」
 彼女の言葉が少年の胸を深く突いた。思いがけず卵を握る手に力が入る。
「おかしいですか……?」
「なに、そういうつもりで行ったんじゃないさ。しかし君はあまりにも他者の苦痛に敏感すぎるな。そういうのはな、君、優しさじゃなく臆病というんだ。卵返してくれ、おやつにしよう」
 彼女は許可なく持ち込んでいたカセットコンロに火をつけその上にフライパンを置いた。(部室に私物を持ち込むためには申請書を顧問に提出する必要がある、清透大学附属高等学校校則第42条)
 コンコン、という小気味よい音が反響し卵は安寧の夢から覚め、鉄の上に投げ出された。ジュ―、卵は鳴く。あっという間に命だったかもしれない物は食材へと不可逆な変化を遂げた。
「さぁ、熱いうちに食べてしまおう。先輩。我々は食らうものだ、恨みや苦痛を背負う覚悟を持とうじゃないか」
 少女は醤油を少年に差し出した。
 人との意思疎通の一切を避け続けてきた少年、蕪城 誠一(かぶらぎ せいいち)が自分の意思を口に出すようになって半年が経過した。つまりそれは彼女、新入生の鏡 夕(かがみ ゆう)が蕪城一人のみで活動していた映画同好会に押し掛けるように入部してから半年が経過したことを意味していた。2人は多くを語らず1つの目玉焼きを分け合った。
 3年生1人、1年生1人によって運営されている奇妙なこの同好会は今日も平和を極めていた。

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