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読書日記117 【笑いのカイブツ】

 ツチヤタカユキさんの私小説といっていいんだろうけど、「笑い」というものに取りつかれた著者の壮絶な生きざまが書かれている。「ケータイ大喜利」という番組の投稿に命をかけるという、冗談みたいな思春期を真剣をおくる。「大喜利」を書きまくるという文章が最初に続き、その量は最終的には日に2000近くになっていったらしい。5年以上その生活を続けたらしいから、その異様さというのは、ある種のカルマとして読者に突き刺さる。

 憧れるのはのセックス・ピストルズのメンバーであるシド・ヴィシャスで、彼は21歳という若さで亡くなっていた。自分もそれまでに死ぬと信じ、「ケータイ大喜利」に投稿するという友達なら「大丈夫?」と聞いてしまいそうなことが真剣に書かれている。

<ぶさいくな人を、オシャレな言い方に変えてください>
 「君の瞳に嫌がらせ」
<こんなシャワー嫌だ>
 「一日一滴」
<モアイが向いている方向には何がある?>
 「変態にもてあそばれている、自分の首からしたの部分」

 正直ちょっと笑えないというか、「ウーム」と考えさせられる作品群が並ぶ。シュールというか、段が増えていくという「名誉」のみのために5年という時間を費やす。「大喜利」を1500から2000に増やす際に頭がガンガンして、死にたい気分になったというからすごい。そしてケータイ大喜利の「レジェンド」になったらしい。

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 その結果として27歳になり、無職で童貞で全財産0円という人生が待っている(当たり前か)。ケータイ大喜利でレジェンドになった後に吉本の劇場作家になったという。自分で吉本の劇場で頼み込んだと書いてるから、恥ずかしがり屋ではない感じがするけど、人と話をせずに自分のみで「笑い」を追求しようとする。

 ボケの本質とは、ズレること、間違えること、それなのに、おもしろいことだ。笑いに狂うということは、どんどん現実や常識から乖離していく行為でもある。ベタに始まり、シュール、世界観ボケ、狂気、ホラー(はあまり笑えない)とズレた距離が伸びればボケの幅も広がる。
 本気でお笑いをやっている以上は、頭がおかしいくらいに、笑い狂うことこそが正義だと、僕は信じて疑わなかった。

 「ボケは間だ」という定義に違う風を入れようとしているんだなというのは解る。一人が変なこと(ボケ)を言う「アツはナツいでんな~」とするとそこに間が開く。そしてツッコミが入る。「それは、夏が暑いやろ」その「間の時間」がプロと素人の差だと松ちゃんが若手の頃に雑誌に書いたお笑い論を読んだことがある。つまり、素人が同じ言葉でボケても笑いはおこらない。笑いってそういう「間の集まり」だと思っていた。「ボケが解っていても面白い」というのはそれで、ネタを何回もお客の前でやって「間」を極めるというの聞いたことがあった。それに真っ向から対決していく。つまり、「新しいお笑い」を作ろうとしているんだ、というニオイがプンプンしてくる。

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 劇場の構成作家の仲間に馴染めないで、3ヶ月という短い時間で吉本の劇場を去っていく。そしてハガキ職人になっていく。著者ボケを短時間で50個は生産できるらしい。FUJIWARAの原西孝幸さんみたいに「1兆個のギャグ」のフリかなと思ったら、本当に書いて応募しているからすごいなと思う。ハガキ職人といっても今は記載されたメールアドレスにメールを送信するだけらしい。コンビニの雑誌でそんなのあったんだという新しい情報がはいってくる。

 チラシを取り出してペンを握る。ノート買った方が安いというか「今のチラシは書きにくい。わら半紙は両面印刷が多いしね」と思いながら読み進めるとラジオに投稿を始める。千円のラジオを買ってそれを聴きながらという、自動小銃の中を竹やりで進むような古風な武器で著者はラジオの読者ネタを読まれるコーナーのネタを書き始めていく。

 すごいなと笑っていいのか?それとも真剣に読んだ方がいいのか?そういう「ラジオ職人生活」が始まる。この本はきっとこれ全体が壮大なギャグなんだと思いつつ、このバカらしいことを一生懸命にする熱量に不思議と読み進めてしまう。本当に不思議な小説のような自伝のような文章が続いていく。投稿を開始するとすぐに採用されて2000円を稼ぐ。それをきっかけに、いろんな雑誌やラジオに掲載されるようになっていく。

 イオンの3階のフードコートに座ってひたすらにネタを書いていく。アウトプットに疲れると、インプットの方は小説や詩集は図書館で読み。雑誌はコンビニで立ち読み。漫画はブックオフで立ち読み。音楽はYouTubeかTSUTAYA。映画やバラエティー番組は録画したものを一気に観る。入力を繰り返してネタに吐き出していく。

 お金がなくなるとホストをしたり、東京に漫才のネタを書く仕事をして1年で戻ったりしている。オードリーのラジオネタを書いていたらしいし、パソコンが不得意で東京から逃げたらしいのと、オードリーの若林さんが「東京へ来い」というと「人間関係不得意」と送ったとされている。壮絶な「笑いづくり」の人生を読んで、人生の先を見せてもらったような気がした。薦められて読んだら面白かった。著者の不器用さは嫌いではないです。

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