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読書日記97 【工学部・水柿助教授の解脱】

 森 博嗣さんの小説というか、自分のことじゃないかとも思われる架空の話になっている。シリーズの3冊目で、「日常」「逡巡」ときて3作目になっている。それからは発売されていないので、これが最終巻かもしれない。

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 主人公は水柿助教授という国立大学の工学部の助教授(今なら推教授)なんだけど、奥さんの須摩子さんに、自分の考えたミステリーを書いてそれを読んでもらおうと執筆し、ひょんなことからミステリー小説として出版社に送って、それが出版されて人気作家になるという自分の話を小説風に書いている。

 そこら辺は曖昧なんだけど、まるっきり、森 博嗣本人の作家生活の日常が書かれているっぽくとても面白い。須摩子さんはヤキモチ焼きで、そこら辺の作者とのやり取りも、このシリーズの重要な要素になっている。

 実社会では、森 博嗣さんは奥さんとは同人誌制作で知り合って結婚。奥さんはイラストレーターのささきすばるさんらしい。「すべてがFになる」いうS&Mシリーズもの初出版作を書いて、それがあまりの完成度に、出版社がわざわざ賞を設立して(メフィスト賞)それの初受賞者になっている。

 最初に書いたのは「冷たい密室と博士たち」らしいのだけど、その時点で出版社はどうデビューさせようか?と思っていたらしいので、すごい話になっている。案の定、本は売れてデビューから3年後には、工学部助教授の給料の10倍以上を稼いでしまったらしい。本が売れに売れているのに、のんびりと過ごしていた前の2作とは違って考察がすごく増えている。

 筒井康隆さんの「文学部唯野教授」を似せて書いているのか、タッチも似ている。こちらも早稲田大学の文学部の教授が、ペンネームで純文学小説を書いている作家なんだけど(バレたら困る設定)その教授の日常の生活と文学理論を語るところを書いてある作品なんだけど、なんか似ている。「日常」のほうの解説は筒井康隆さんが書いているので確信犯的かも知れない。

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 作家として売れて売れて売れていく水柿助教授。その作家生活で得たお金で大きな家を買って(大きい方のバスルームが12畳あるらしい)、そこに住み趣味である鉄道も引いている。その中でも執筆活動は忘れない。小説やエッセイに「時事ネタ」を入れるのをすごく嫌う。その理由とは、

  誰が書いたかよりも、何が書かれているか、がすなわちコンテンツだ。極端な話、作家は死んでいても良い。したがって、できるかぎり作品は普遍性を持っていることが重要だ。なるべく時の話題を含まないことによって、コンテンツが劣化しないようにできる。逆にいえば、この対策が最も簡単なのだ。

 みんなが知っている時事ネタというのは鮮度も大事だし、モノマネやパロディ化しやすい。意見も出やすいし、批判やちゃかしたりすると反応も大きい。それはクリエーターの仕事ではないと著者は断言している。なるほど、と思うし、そもそも小説では時事ネタ無理かな~とも思う。

 この本で水柿助教授は断筆宣言をする。筒井康隆も断筆宣言したから、そこら辺と話をあわせたのかな?とも思う。奥さんの須摩子さんと家に置く家電を買いに行ったり、駄洒落かなとも思える新しいミステリーの発見(わたしの獣と書かれた文章が、実は「わたしのけ者」というメッセージだったとか)をする話が延々と続くのだけど、ついにネタが切れたのかも知れない。

 物語の中で飼う犬のパスカルが散歩途中で歩くのを止めてしまう。歩きたくないというのでなく、そこから家に戻るまでは歩くらしい。その身の程を知る犬に感化されて、あっさりと小説家をやめてしまう。やめても本は出版される印税も入ってくるの生活も困らない。しかし、小説を引退するころには本業である研究者としての仕事も出番がなくなっていた。

 暇をしてネットを覗いたり花をみたり、落ちた葉っぱを拾ったりしている。「小説でも書けば?」という心の声にこう答える。

 人間はいつでも、自分にとって一番価値のあるものを選ぶ。価値が見えないときは、価値のありそうなもの、あるいは、いずれ価値が出そうなものを選ぶ。無駄なように見えても、けっして無駄は選択されない。その人が信じる最善の道を必ず選んでいるのだ。

 誰もが自分の欲望のままに生きている。ただ、価値を見出す道理が、それぞれ違っているにすぎない。

 道理が違うだけで、人は「自分のしたいこと」しかしない。苦痛に向かっていきたい人が苦痛に向かうだけだと考えると、「痛いの嫌です」という人を否定できるのか?というと、それも「否定したいから」できるとなる。みんなが好きなことをやり始めて、収拾がつかない堂々巡りのパラドックスに入る。それが今の社会でそれが人生なんだとあらためて教えてくれる。

 ただ、そんなに深いことは書いてありません。すごく面白くて読みやすく意味のわからない不思議な作品。

 

 

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