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読書日記200 【火垂るの墓】

 野坂昭如さんの短編集。いいも悪いも、アニメの「火垂るの墓」の前と後というのがあるの否めない。高畑勲さんが「映像として残しておきたかった」といわれる、この短編小説は小説に書かれる関西弁の歯切れの良さと、まるで昔の活劇をみているように饒舌体で綴られていく。

 太平洋戦争の神戸の大空襲で両親のいなくなった兄の清太と妹の節子。そこから終戦直後の清太が死ぬまでの二人の生活が書かれている。アニメをみたことのある人はわかるだろうけど、細かい描写が本当に小説を読んでいるようで、小説のファンだった人は「すごいな」と本当にびっくりした。

 「なんでほたる死んでしまうん」という節子の言葉は小説にはない。大空襲にあって、母親が亡くなり、戦争が終わり、衰弱していく二人は静かにしかもあっけなく死んでゆく。節子が最後に清太にいう言葉は、

 横になって人形を抱き、うとうとと寝入る節子をながめ、指切って血ィ飲ましたらどないや、いや指一本くらいのうてもかまへん、指の肉食べさしたろか、「節子、髪うるさいやろ」髪の毛だけは生命に満ちてのびしげり、起こして三つ編みをあむと、かきわける指に虱がふれ、「兄ちゃん、おおきに」髪をまとめると、あらためて眼窩のくぼみが目立つ。節子はなにを思ったのか、手近かの石ころを二つ拾い、「兄ちゃんどうぞ」「なんや」「御飯や、お茶もほしい?」急に元気よく「それからおからもたくさんあげましょうね」ままごとのように、土くれ石をならべ、「どうぞ、お上がり、食べへん?」
 八月二十二日昼、貯水池で泳いで壕へもどると、節子は死んでいた。

 これを読んだときに、何故か涙がとまらなかった。戦争を書いたものはあったんだけど、このあっけなく儚い二人の物語は、その戦争を生きれなかった二人の世界が広がっている。夏の終わりに読みなおす小説でもある。「アメリカひじき」と同時に直木賞も受賞している。

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 実は亡くなった祖母も同じ空襲を経験していてた。けれど、祖母は絶対に戦争の話をしなかった。亡くなる数年前に「嘘だと思いたいから言いたくない」と一言、話したことがあって、その時にそうだったんだという壮絶さは伝わってきた。その時代を生きた人には、僕らの見ている世界は『夢の世界』でもあるのだろう。

 アニメもすごいけど、小説もすごいと感じる作品。

 

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