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読書日記42

アフターダーク

 村上春樹の長編で1Q84のちょっと前の刊行になっている。今までより第三者的に書かれているがちょっと直喩の表現が多すぎてちょっと苦手な小説だったけど、読書日記を書いていて読んでみると読みやすくなっていた。そこら辺は不思議なんだけど、前より雑味がなくなったというかそこら辺は本当に不思議な感じがある。

 主人公というか話の中での主人公らしき女性というのはマリという女性で姉のエリと物語的には対をなしている。デニーズで夜遅くに分厚い本を読み中国語を話す。夜の街の娼婦の中国人の通訳をやったりもする。デニーズで知り合ったタカハシやカオルと夜の闇の中で物語を紡いでゆく。

 題名の通り夜中の物語で語られている世界観は不思議と小さい。村上春樹の世界は果てまでと思い読むと中途半端な感じがするがきっとそこに意味があるのだと思うようになってきた。最初は「世界の終わり」のような対をなして最後は一つの物語として…みたいな感じはプンプンしていたけど、それが分裂して1Q84になったのかとあらぬ疑問が沸いてくるほど淡泊にそして華憐に物語はおわる

 動の部分はマリが静の部分はエリがというのがうまく説明ができているのかもしれない。都会の街の深い闇の物語を深く堪能しながら読んだ。内容の中で日本のその頃のリアルなファミレスとかが出てくる。最初の方ではサラダチキンとトーストだったり、コンビニでタカナシのローファット(低脂肪)の牛乳を買ったりする。東京のコンビニで200mlのストローのやつだったと思うけど買ったことある。

 サラダチキンはセブンイレブンで人気になってるもんね。昔はデニーズとかファミレスでチキンのみを食べるというのが凄く流行ったことがあった。運動する人がよくそれのみを頼んで水とサラダで食べるのあった気がする。この物語が最初なのか?それともそういう時代だったのか?はよくわからないけどヘルシーな食事とカフェで仕事みたいなのはこの頃が最初のような感じがする。(今も続いている)

 バッテリーの持たないノートパソコンを持ってマクドナルドで電源を借りながらネットサーフィンをしたり、エクセルやパワポで社内の書類を作ったりしてたのがバッテリーが格段に良くなって軽くなったりした時代だなと思う。スマホはまだでてなかったし携帯は機能が全然足りなかった。村上春樹が「やがて哀しき外国語」で使い始めたのがパワーブック160/80と書いてあった。今なら能力のないただ文章がすこし打てるラップトップだったし、ノルウェイの森は手書きだったというのが今は驚きに変わる。古い作品も読み直してみようと思った。

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