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愛がまだ、残ってるうちに

あなたと別れることにした。

本当にやさしい、みんなが口を揃えて評価するような、歯痒いくらいに自己犠牲的な良い人だった。

去年の春に恋した。理由は特になかった。2度しか会ったことがなかったのに、誕生日プレゼントに可愛いチョコレートを貰った。私はそういう小さなサプライズに弱かったから。その瞬間のあなたがとても愛しく思えた。2回デートをして、皆が苦笑するようなしょぼい花火大会の日、しょぼい花火でも綺麗だと言ってくれたあなたに好きだと言った。

それからはずっと楽しかった。亀裂が入るような大きな喧嘩もあったけど、夢みたいな日々が、あなたがくれた毎日が大好きだった。

コーヒーばかり飲んでいたから、べつに好きじゃなかったコーヒーも飲めるようになって、誰も救われないような暗い映画ばかりが好きなのに、趣味じゃなかった明るい映画も見るようになって、必要無いと思ってたおはようもおやすみも、いってらっしゃいもおかえりも、わたしの中でとても大切になっていて。

なんでもない日にもあなたが浮かんで、用事もないのにカルディなんか入ったり、綺麗な場所を見て感動して、美味しいものを食べて幸せな気持ちになったとき、次はあなたとと思ったし、お互い食べ物の趣味が合わなくても譲歩したし、突然不安になった夜にはあなたの言葉に救われたし、車に乗る時は手を繋いで、たまにくすぐって怒られたり、柄にもなくお揃いのもの買っちゃおうかなぁーとか思ったり。最後のは、結局しなかったけど。

価値観とか考え方、趣味趣向、好きなタイプ。ぜんぶがまったく違うことは分かってたし、それでも大丈夫だと思ってた。歩み寄って肯定し合って、無意識にお互いちょっと影響されて。わたしをゆっくり変えていった、素朴なあなたが好きだった。二人の間にはちゃんと愛があった。

でも、もう駄目だと分かってしまった。

当たり前だったものを、捨てなくちゃならないことが怖かった。怖かった。自分の形が保てなくなると思った。

あなたに貰ったもの、一緒に選んだもの、わたしに馴染んだ当たり前と特別。わたしの周りに漂うあなたが薄れるのはどれくらい時間がかかるだろう。

長い時間の中で染み込んだものを洗い落とすのは難しいし、前のようにまっしろにはない。好きな匂いも手の大きさも背中の広さも、カラーもしたことないくさに傷みきったモジャモジャの髪の毛も、さらさらな肌も。忘れたいとは思わないし、忘れないでいて欲しいとか思う。欲を言ったら、これからあなたが思い出を上書きする度にわたしのことを思い出して欲しい。どこまでも引きずって欲しい。

飽き性で我儘、でも好きでいて欲しいから不器用に隠した。そんなわたし自身のことも愛しかった。分かって欲しいだなんて言ったけど、隠しきれなかった我儘だった。中途半端だった。とても疲れたと思う、あなたは。

勝手でごめんなさいと思う。嫌いにならないでいてくれてありがとうと思う。頑張ってくれたあなたは一番に報われてほしいと思う。

別れ際、本当に優しい人か本当に我儘な人か、あなたにはもっと分かりやすくて可愛い人がいいよ、と言った。あなたは言わないで、と言った。コーヒーばかり飲んでないで、ちゃんとご飯を食べてゆっくり寝て、それでもっとあなたを大切にしてくれる人と、ちゃんと幸せになって欲しい。あなたがこれを見ることはないと思うけど。

愛がまだ残っているうちに、わたしはあなたと別れることにする。