記憶喪失

注意

このnoteを読んでも有意義ではないおそれがあります。人生急ぎ気味のかたは回れ右をおすすめします。






あれ、さっきまで手に持ってたスマホどこやったっけ。

まあよくある。1日に1回、多ければ4、5回はスマホを何処かにやる。しかも大体同じ場所にあると、頭のどこかでは既に理解しつつ、最後にどこへやったのかを忘れる。

スマホじゃなくても、
例えばメガネ。
例えばテレビのリモコン。
例えばリップクリーム。

小さな物からコツコツと。忘れていく。


ところで私の造語で、「塵も積もればエベレスト」という根拠も何もない語感だけで気に入っている言葉があります。

小さなことも積み上がればとんでもないでかさになるよ。

そんな意味。


私が急に言いたくなったのは、
そうした小さなことからコツコツと、人は忘れていくものですよという話です。




私は大学生としての生活を4年間で終えようとしています。
1年を365日として、単純計算で1460日(今電卓で確認した)あったはずの日々。



私はその日々を忘れてしまいました。


まるっと、丸ごと。




4年間で出逢った人はなんとなく覚えています。
でも、いつどこで何をしていたのか、思い出せなくなっています。

あの子と遊びに行ったのいつだっけ、
あの子に出会ったのいつだっけ、
あの子と知り合いだっけ、

小さなことからコツコツと、忘れていました。

そして日々の小さなことを忘れていたことを忘れ、
気づけば4年間何していたっけ。
と、私の4年間は、はたからみたら「ただ空虚な大学生活」に成り果てていたのです。


何かをがむしゃらに頑張ったはず、

何かに苦しんだ、

何かに喜んだ、

そんな記憶も無くなって、

残ったのは過ぎ去った日々とやや丸くなった顔。



しかし私はこの現状を、病気ではないと考えています。
まあ、病気なわけないやろ。強いて言うなら頭がどうかしてるので、医学的な病ではなく、精神的に病んでいると言う方が的を得ているのかもしれません。


ですがどうしてこうなったのか、自分でも思い出せないのです。


それは、思い出したくないから、なのかもしれません。
思い出したくなくて、思い出さない。
脳が勝手に思い出さないように記憶の引き出しに鍵をかけているのかもしれません。

私みたいに、頭を打って記憶を失ったというより、ふさがった記憶があって取り出せなくなった、みたいなそんな人いるのかな。
そう思って筆をとっています。久々なのでめちゃくちゃだと思います。なんせ筆者自身頭の中がふわふわのよわよわパンナコッタなので、どうかご容赦ください。


もし何か思い出したら、記録しようと思います。


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