見出し画像

ヘアスタイルで知る自分ベスト

少し長さのあるショートカットのヘアスタイルをしていたあるとき、ベリーショートにしたいと何人かに相談してみた。かなり尊敬している男性に言われたのは、「ベリーショートにすると男性からの好感度は落ちる」というものだった。その時はそれはそれで一つの事実かなと思い、受け入れなければと思った。当時デートした相手にも、「特に制約がないのならもう少し髪の毛を長めに伸ばしたら。自分が女性だったらそうするよ」みたいなことを言われた。それ以降も、髪を短めに切ろうかと思うとき、彼らの言葉が浮かび、自分の希望する長さと、周りの人の求める長さが違う、葛藤を感じていた。そんなとき、ある人が勧めてくれた美容師さんに初めて切ってもらうことになり、長さの違和感について述べた。それはよくあることのようで、彼は十分理解を示しつつ、言葉で考え方を回答はしなかった。おまかせして出来上がったのは長すぎでもなく、短すぎでもないちょうどよいと自分でも思える髪形だった。コミュニケーションと技術の効果だと思うけど、それ以来、私は髪形に満足して長さについて違和感を感じたり、考えなくてすんでいる。考えなくてもよいのはすごく楽だ。鏡を見て、自分らしい容姿をしていると髪形のおかげで感じられ、安心感と快適さがある。だからベリーショートのことも忘れてしまった。その美容師さんに髪を切ってもらってから約一か月たって、そのことが分かり始めた。

ある日カフェでお茶をしたとき、隣に座った女性のショートヘアが素敵で、行きつけの美容院を尋ねたら、ちゃんと、美容師さんの名前まで教えてくれて出会ったその美容師さん。

結局、私にとって重要だったのは髪の長さを変えることではなくて、あまり大きく変えなくても私らしいと思える、似合うカットにしてもらえることだったように思う。髪形が決まったせいかこれまでの自分の証明写真を見ていたら、これが私のベストルックだと思えるから、いろいろなところで使おう、という写真まで決まってきた。以前に仕事で接した年配の方が、少し若いころの同じ写真をずっと使っていたが、5年くらいは使いたいと思える自分を代表する写真だ。自分はこうでいたいというあり方が、写真の姿を通して示されたかのように感じている。写真の髪形は今の髪形とかなり近い。

少し前に、職場の人の視線を感じてつらかった時期があり、自分の容姿についてある程度肯定感を持ちたいと思っていた。わたしは自分の顔の雰囲気が環境の変化に合わせて割と変わるのを認識していた。でもそういう変化を卒業していくのだ、わたしはこういう顔をしているのだ、していたいのだから、と納得することにつながった。私は普段メイクをしないこともあり、髪形がそれくらい重要だったのだと思う。証明写真の髪形、表情、これらを合わせて自分らしい姿をよく目に焼き付けておこうと思う。そして今度髪を切る時はその写真を参考に見せようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?