水樹奈々に人生を変えられたオタクの話②
隣の席の人が持っていた見たことのないペンライトが気になって仕方なかった。
ライブ会場に入場したら、隣の人がペンライトの電池を交換していた。私はそれまで、折って発光させるタイプのサイリウムしか持っていなかったので電池式のペンライトがあることを知って感動した。
それどころか、ライブが始まったらそのペンライトの色が突然変わることに驚いた。ライブが始まっているのに、「あのペンライトはどこで売っているんだろう。次のライブまでに買おう」ってどうでもいいことばかり考えていた。
初めての水樹奈々のライブから1年と8ヶ月。
ライブに行くことよりも、初めて1人で東京を出ることにドキドキした。
2013年のLIVE CIRCUSの西武ドーム公演初日。久しぶりにライブに行った。この時は一般でチケットを取ったはずなのに、アリーナ席のセンターステージ付近だった。
初めて行った東京ドームは始まってすぐ真っ暗になったし、席も2階の後方だったので肉眼で水樹奈々を見たのは気球で飛んできた時くらいだったのだが、この日は違った。
西武ドームに行ったことあるオタクなら分かると思うけれど、西武ドームは他のドーム球場と違って屋根とスタンド席の間に壁がなく、通気性を高めた構造になっている。半分野外のような会場である。
そのため、夕方はまだ光が差し込んでいて会場内が明るい。客席や水樹奈々がはっきり見えてとても新鮮だった。座席の位置も想像よりも前方だったので、ステージで歌う水樹奈々を肉眼で捉えることが出来た。
正直なところ、どの曲が良かったとか、細かい感想を何一つ覚えていない。
ただ、こんなに楽しくて気持ちいいのは初めてだと思ったのは覚えている。
水樹奈々ってすごい人なんだって思っているうちにライブが終わっていた。
1人で帰路に就くのはこの時は寂しいと思わなかった。ライブに行った満足感で溢れていたし、1人でいる時間も好きだったので。ただ、周りで知人と感想を言い合っている他のファンが少し羨ましかった。
ライブに行ったからとか、水樹奈々に元気を貰ったからとか、多分そういうことではなく、水樹奈々の歌を浴びて自分の中の何かが変わったという方が正しいかもしれない。今思うと魔法にかかったみたいだった。
1ヶ月後の9月。2学期の初日に久しぶりに高校に通学して、自分の口から出た言葉に驚いた。
担任との面談で、高校を中退することを決めた。
ここから、私は「普通の人が歩く道」から大きく外れることになる。
高校を辞めた日にまずバイト先に行って、学校を辞めたのでシフトを増やしたいと伝えた。すごく驚かれた。それから2ヶ月はバイトと勉強ばかりしていた。大学に行きたくなったときのために高卒認定試験を受けた。なるべく早く取ろうと思って、2ヶ月後の11月の試験を申し込んで2ヶ月で猛勉強した。世界史を全く勉強してこなかったので、高校3年分を2ヶ月で詰め込むのに苦労した。
それからは毎日がすごく新鮮で楽しかった。
バイト先で仲良くなった人たちと仕事終わりにご飯に行ったり、車で出かけたり。歳上の人と話す機会が必然的に増えたので、興味深い話もたくさん聞いた。
バイト先の女の先輩の家に呼んでもらった時に、1人で子供3人育てていると話してくれて、先輩がお酒に酔って泣くのを初めて見た。
21歳だった男の先輩が実はバツイチで子供までいるって話も聞いた。
普通に高校に通っているだけでは分からなかったけれど、自分以外にも人生苦労している人はたくさんいるし、間違った生き方なんてないんだと思った。
よく車に乗せてもらっていたバイトの先輩が水樹奈々が好きで、2014年のLIVE FLIGHTが決まった直後に「車出すから4人で山梨に行こう」と誘われた。車で連れて行ってもらっただけなのだけれど、これが私の初遠征だった。
LIVE FLIGHTの感想は色々あるけれど、このライブで歌った「Rock you baby!」という曲が今ではすごく好きだ。
「人だかりの出来るRoute 足踏み続けてるより
険しくてもいい 自分だけの未来 大胆に目指して行こう」
「普通の人が通る道」じゃなくてもいいと、水樹奈々が教えてくれた。
私なりの生き方をしようって考えられるように、水樹奈々が変えてくれた。
水樹奈々に出会う前の私は、こんな考え方出来なかった。
あの時出会っていなければ、今の前向きな私はいなかった。
1人の人間に、ここまで人生変えられてしまうとは思っていなかった。
だから私は、自分の人生を変えた水樹奈々という人間に一生ついていく。
推し続けなくてはならないし、自分に出来ることはなんでもする。
水樹奈々は私の人生なので。