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地域内に世代を超えた家族の輪っかをつくる。

今日は、noteさんからいい感じの連絡が届き、ちょっとその手に乗ってしまって、この記事を書いている。
人間って単純だね。とつくづく思う。
まあ、僕だけが単純なのかもしれないけど。

うん、なんかいい感じにいろんな人に読んでもらえたのかな?
と思っています。

そして、今文章を書きながら、
「こういう創作活動は時間を決めて、書く時間をつくることが大切だよな」と思っています。

人はいつも何かに追われています。
だから、時間を決めてあげないとやりません。まあ、楽な方向を選ぼうとするし。

ってことでこれから毎日、少しだけですが創作活動の時間をこれからは取りたいと思います。

こんな感じでね。


前回の記事では、これからの地域には、「家族観」というものが非常に重要になってくるのではないか。ということを提起しました。


前の記事を書いて、数日間寝かせてみた(発酵させてみた)わけですが、いい感じに自分の中でも醸されてきました。
ここで、ふと先日、自分の友人がSNSにあげていた言葉が頭によみがえってきました。


「なんで一人で家にすんでるんだろう。」

こころを苦しくしたらごめんね。それは、寂しいってことなんだと自分自身は受け取りました。
一人で住むって楽です。いつでも家に帰っても、ごはんたべなくても、お風呂に入る時間も、どんな格好で部屋にいても、自由です。

しかし、なにか話したいときでも、一緒にだれかと何か考えたいときでも、悩んで人に相談したいときも、疲れてなんも力が出なくて家事をしたくないときでも、どんなときでも、一人です。


ぼくは、思います。
人間とは、人と人との間(あわい)である。
今日打ち合わせをしてる時に、先日滞在していたまめなでの話が降ってきました。
人は、一人では寂しいです。たぶん。
人間は、人と人の間。ということは一緒にいるってこと?たぶん、その間があると心地よいんです。

脱線しすぎましたが、まあ僕は人間は人と一緒に住むべき、暮らすべき、過ごすべき。というか一緒に暮らすといいなと思うんです。

毎日一緒に住めってことではなく、
たぶん、小さな町だとご近所さん知ってると思うんです。
そして、今あなたの友人の中に、自分と気分の合う友人は一人くらいいると思うんです。

そういう友人と一緒に住み、
自分のおうちを開いて、毎日、地域の人たちとあいさつして、お話して、助け合って。一緒に街で過ごしていく過程でいつのまにか、そういう地域の人とも家族になっていると思うんです。


今の日本の課題は、「核家族化」だと思っています。
いろんな世代の人たちが一緒に暮らす。これは一つの家庭では、時代の流れ的に厳しいかもしれません。

でも、決して血がつながっていなかったとしても、気持ち(心)はつながれるはず。

そんな地域の中で、いろんな世代の人たちが、お友達になって、その中から少しでも、「今日はあの子元気かな?」「風邪ひいてるらしいね、なんか持っていこうかな?」とか一緒に心を共有できる家族が必要だと思うんです。
たまには一緒にご飯を食べて、毎日じゃなくていい。
助け合うときは助け合ったりして、毎日じゃなくていい。
おたがい気にしあう。

それだけで僕たちはもっと、
「豊か」になれると思うんです。


地域の中に、いろんなサイズの、いろんな種類の家族の形が生まれていく、そういう社会ができてくるといいなと思っています。

若者とおじちゃんおばちゃんが一緒になにかしている。
なんか一緒に考えている。
お互いがお互いにできることをしあう。助け合う、という姿勢だけではなく、手を取り合う。


これからは、みんなで手を取り合う。

それが、「まちづくり」といわれることの中で
一番重要な観点かと思います。


僕自身は、
一度なくなったら取り戻せないものを大切にしていきたい。
それは、

「歴史」
「文化」
「風土」
「自然」
「暮らし」
「感性や創造性」
「その地にいる人」

などたくさんあります。
そういうものを大切にして、その地の可能性をもっと、もっと引き出していきたい。

開発ではなく、その地にあるものを見直し、ゆっくり、ゆっくりつくっていく(発酵させていく)。
それがこれからの時代に必要なものであるし、ぼくは、そのような「文脈」を大切にしていきたい。

そして、文脈を大切にした事業をつくっていく。これも時間がかかってもいい。そう思いながら、できるスピードで、大胆かつ丁寧に。





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