ドラマみたいだ
最近蟻を見かけなくなったのは、地面に顔を近づけることがなくなったから。最近鳥を見かけなくなったのは、空を見上げることが少なくなったから。街が狭くなったのは、いろいろなことを知ったから。ドラマを見なくなったのは、一週間という刹那を知りたくないから。
連ドラが最終回を迎え始めるシーズンがやってきた。週1回の楽しみといえば楽しみではあるが、それと同時に、月日の早さを思い知らされずにはいられない残酷さも持っている。
ドラマの中の人物がめくるめくハートフルでシズルフルな1週間を過ごしているはずなのに、自分はこの1週間の空虚さを嘆くことしかできない。「こんなことがあった」と言われて、改めて自分の1週間を振り返ると、想像以上になにもない。カメラ目線で「また来週」と言われたら、ちょっとくらい充実した1週間を過ごしてやろうと次の日は意気込んで、気づけばまた無為に1週間か経っている。嗚呼...。
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というのも、本当に久しぶりに連ドラをリアルタイムで視聴したのだ。ドラマが放送された翌日に「承知しました」というワードが飛び通っていたのが懐かしい。私が連ドラをリアルタイムで全話視聴したのはそれが最後だから、実に何年ぶり・・・?
連ドラの醍醐味は、放送翌日がその話題で持ちきりになることだと思う。友人たちとあれやこれや、登場人物の行く末を案じるのが楽しみのひとつだった。
ドラマがつまらなくなったのか、自分の感性が腐ったのか。いや多分、ドラマを見ること自体に付随している"ほかの楽しみ方"をしなくなったからだろう。
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人生なんて20数年もやってりゃ、“こなれて”くる。四苦八苦悪戦苦闘右往左往する必要もなくなってくるし、雑魚モンスターをせこせこ倒して経験値を稼ぐ必要もなくなってくる。
つまらなくて香ばしいドラマが話題の中心に出しゃばってくることもなくなり、ドラマがただただ時が経過していくことの指標のひとつでしかなくなる。
週1回のドラマは、「もう1週間経ったのか」というチェックポイント。とりあえずセーブしてひとつ前のダンジョンでレベル上げ、なんてことはできない。不可逆性で一方通行で強制スクロール進行のこのダンジョンで、次のチェックポイントを目指していくだけ。
このドラマが最終回を迎えても、私はどうせ生きていくしかない。
今週もまたドラマがチックタックと近づいてくる、止められそうにない。いや、むしろ止めたいとは思わない。
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