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先輩って面白えな

おのたつと申します。noteのスキやフォローよろしくお願いします。

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僕には人生で大切にしているテーマがいくつかある。
「継続は力なり」「怒りにエネルギーを浪費しない」「食べ放題では死ぬほど食べる」「晴れてる日は布団を干す」など。

その中でも特に大切にしているテーマが

「後輩力を高める」

だ。

この「後輩力」という概念が実際に存在するのかはわからないが、自分の中では「いかに先輩が面倒を見たくなる後輩でいるか」ということを表す指標としてこの言葉を使っている。

先輩というのは自分よりも多少なりとも人生経験が豊富で未知の面白エピソードを持っていたり新たな世界の扉を開いてくれるものだ。
だから僕は先輩と仲良くなるのが好きだ。(もちろん同級生も後輩も楽しい。)

これを聞くと「後輩力?それってただヘコヘコ媚びてるだけじゃね?」という風に解釈されてしまうかもしれない。
もしかしたら他人からしたら媚び売りキモキモマンに見えているかもしれない。
それはちょっとショックかもしれない。

だがどうやら後輩力とはそんな単純なものではなく、人柄や本心などの複雑な要因が絡み合って得られるもののようだ。

そもそも、「いい後輩」とはどのような人物なのか。

例えば
『何を言ってもリアクションが薄く、大体のことを自分でこなし失敗してもすました顔で困った様子を見せない後輩』

『よく失敗するが何事にも愚直に全力で挑戦し、困ったことがあると全力で助けを求めてくる後輩』
がいたらどちらと一緒にいたいと感じるだろうか。

間違いなく前者の後輩が優秀だし、高い生産性で仕事をしてくれるだろう。
しかしいい意味でバカっぽく、小犬のような後者の後輩はどこか「こいつを助けてあげたい」と思わせる存在ではないだろうか?

もちろん世の中の全ての人がこのように感じるとは僕も思わない。僕も、とにかく短期間で収益を上げなければならない仕事をするような場合には前者の後輩を好ましいと感じるかもしれない。

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だが、日頃から付き合いを持つ後輩ならほとんどの人が後者の方が好ましいと思うだろう。冗談を言ったら「何言ってんすか!」といいながら全力で笑ってくれて、自分が間違ったことを言ったときにもフォローしながら間違いをやんわり教えてくれる。たまに生意気なことを言うけど度を超えない。
こんな後輩、可愛がらずにはいられない。

(そしてそもそも、僕は前者の後輩のような能力がないのでそんな風にはなれないという事実もある。)

とはいえ僕が自分の全ての後輩にこうあってくれと思っているわけではない。
もしこれを読んでくれている僕の後輩がいたらどうかキモがらないでほしい。

いろんな人間がいるのだから、いろんな後輩がいていいと思う。
無理に「いい後輩」になろうとすることは却って自分の魅力を落とすことになる。

これはあくまで僕が「こういう後輩でありたい」としている目標にすぎない。
これまでの人生で目標に近づけているかはわからないが。

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僕がこんな風に考えるようになった理由は、おそらく僕が育ってきた環境にある。
僕は3人兄弟の末っ子で、兄弟から愛されて育ってきた。というわけではない。

小さい頃から兄には唾をかけられ、二段ベットのはしごを外され上に置き去りにされ、姉には部屋にすら入れてもらえず、お前は橋の下から拾われた捨て子だと言われてきた。散々だ。

当時幼稚園児、小学生だった僕には厳しすぎたそんな環境の中で僕は「どうすればこの人たちとうまくやっていけるのか」と考え、その術を学んでいった。
そして最終的に「後輩力を高める」という人生のテーマを見つけたのだ。

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(兄弟とは普通に仲良しなので安心してください。)

とはいえ「後輩力」とは意識して発揮するものではない。コミュニケーション能力のように、人との関わり合いの中で勝手に育ち高まっていくものだ。

世の中には「天性の後輩」もいるのかもしれない。
どうやって身に付けるかや発揮のコツなんてものはわからないものだ。

先輩には、嫌われるよりも可愛がられた方が得だ。
これは別にご飯を奢ってもらえるから、とかそういう話ではなく、困ったときに頼れる人が増えるし、より多くの人と知り合う機会ができるからだ。

実際に僕は人生の中で何人もの個性的な先輩に出会ってきた。
一緒に部活をサボった先輩。大学で同級生になってしまった地元の先輩。蛇飼ってる先輩。ずっと大学4年生の先輩。

そんな中でも強く印象に残っているのが「ランニングの先輩」だ。

「ランニングの先輩」といっても一年中タンクトップを着ているゴリゴリマッチョな先輩ということではない。走る方のランニングだ。

この先輩とは同じ大学のサークルに所属していたが会ったことはほぼなかった。
去年の夏休みにとあるフェスのバイトでようやく喋る機会があった。

そのバイトにはサークル員数名で参加し、その先輩とはたまたま同じ担当箇所になったのだが、彼は究極のコミュニケーション能力の持ち主だった。
実質初対面とはいえ同じサークルの僕とすぐ仲良くなれるのはわかる。だが彼はその場にいた本当に初対面の女の子とも会話を弾ませ、瞬く間にLINEまで交換していたのだ。この人、絶対面白い。

その日の12時間以上にも及んだバイトは無事終わり、給与もきちんと振り込まれた。
そして事件は起きる。バイトから1週間くらい経ってから、ある連絡が入った。

「渋谷までランニングしようぜ」

ああ、やっぱりこの人面白いわ。

スタート地点から渋谷まではおよそ13km。お互い体力に自信があるわけでもないのにこんな誘いをしてくる人に、面白くない人なんていない。

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渋谷まで走ってから食べたいきなりステーキは最高に美味しかった。そのあと渋谷で開催されていた先輩たちの飲み会にプロテインを持って参戦したのもいい思い出だ。まあ、トレーニング後に酒を飲んだら全て無意味になるのだが。

それからというもの、僕らは定期的にランニングに出かけた。

「中華街まで走って食べ放題の店行こうぜ」「高尾山登ろうぜ」「ランニングして二郎食べ行こうぜ」

いつしか他のサークル員からはランニング兄弟と呼ばれるようになっていた。
そして彼は毎回コンビニでSAVASのプロテインをご馳走してくれた。

前日まで山登りをする予定だったにも関わらず、当日悪天候だったために八王子でただラーメンを食べるだけの企画もあった。もはや走ってすらいない。

いつしか僕は彼の影響を大きく受け、「〇〇キッズ」(〇〇は先輩の名前)と呼ばれるようになっていた。実際僕は彼から多くのことを学び、視野も広がった。
いつか僕も後輩に影響を与えられるような先輩になれるだろうか。

時は流れ、現在は先輩が就職したこともありランニングはしばらく開催されていない。しかし、もし彼からまた「ランニングしようぜ」という連絡が入れば僕の後輩力は再び目を醒ますだろう。いつでもお供します。

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多くの先輩と仲良くなることのメリットは、1人や友達とではやらないようなことに挑戦できる点である。先輩からの誘いは断りづらいという部分をポジティブに活用できるのだ。
この先輩から渋谷まで走ろうと言われなければ人生で走ることはなかったと思うので、本当にいい機会を得られた。

今後も自分の中から後輩力が失われてしまわないことを願う。
そして社会人になってもうまく世を渡っていくのに役立ってほしい。

「後輩力は大切だが、後輩力を意識的に手に入れ・高めることはできない」という矛盾を孕んだ真実の中で、僕は今後も

「後輩力を高める」

というテーマに全力でぶつかっていく。

最初から最後まで、何が言いたいのかわからないnoteだった。

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