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私とベイスターズ 暗黒編

こんばんは。melon.です。

前回は私がベイスターズファンになったきっかけを語りました。

私がベイスターズファンになったのは2004年。ご存じのとおり、ここからベイスターズは長い暗黒時代へと向かっていきます。

2005年を最後にAクラスから遠ざかり、星の輝きは暗雲に閉ざされました。

それでも私はベイスターズファンをやめませんでした。弱くて負けてばかりでも、ベイスターズを応援し続けたここまでを語ります。

さすがに心が折れたときはあった

ベイスターズファンを公言してから、私の生活は青に染まり始めます。少年野球に行くときは、ベイスターズのキャップに選手のシャツ。プロ野球チップスを毎日のように食べ、ベイスターズの選手カードをひたすら集めました。初めて当たったキラカードは鈴木尚典選手。今でも私の宝物です。

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しかしながら、とうのベイスターズは勝てない日々が続きます。ハマの大魔神がいるのだから、さぞ強いだろうと思っていたのに、大魔神はなかなか出てきません(泣)

そうしている間に、佐々木選手が引退。鈴木選手も2008年にバットを置きました。

勝てない状況が続いていたベイスターズですが、それでもファンでいられたのは、私自身の少年野球が忙しくなり、じっくりとベイスターズの試合を観られなかったことや、村田選手の二冠王や内川選手の首位打者獲得など明るい話題もあったことが関係していたと思います。

ただ一度だけ、心が折れ、ベイスターズファンをやめようかと考えた出来事があります。

それは、多村選手のトレード(2006年)です。

豪快なバッティングと、何よりWBCでの活躍で多村選手の虜になってしまっていた私にとってショッキングな出来事でした。

「ハア?多村選手を放出するなんて何考えてんの?」

最初は冗談かと思いましたが、事実だと分かってくるとだんだんこのような怒りがこみ上げてきました。(当時は小学生です。)

多村選手の移籍以降、ベイスターズよりもホークスの試合をチェックするようなりました。

収穫

疲れました。本日はここで収穫とします。

大変渋い果実でしたが、最後までお付き合いいただき有り難うございました。

次回はDeNA編にしようと思います。糖度をあげて、美味しい果実になるよう頑張ろうと思います。

寄稿もこれで3稿目。あと1稿で三日坊主脱却。

頑張ろう。


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