見出し画像

読んでいて楽しかったと言ってもらえる喜び(5月の課題、反省文)

どうも。私です。
なんか書かないといけない気がしたので、唐突に今回のオンラインライティング講座の課題について感想を。

今回はコレ。
まずね、率直に「読んでて楽しかったってゆってもらえてよかった!」です。
コミュニティ内でですが、初稿読んでコメントくださった方々ありがとうございました。
リライトした後はリライトとした後で、同じグループかつオフラインのライティング講座でも一緒だった方に「ひとりひとりの人生には物語があって、表現することで読まれる作品になる」とフィードバック頂きました。凄い、ああ、他人の話面白おかしく書いて(笑)良かったな、と。

というのも。
3月の課題が「わたしの形」という課題だったので、「わたしの話だ!わたしの思いの丈を綴ろう!」とがしがし内省の文章を書いて出したんですが、フィードバック時に小野さんに「白石さんは自分の事ではなくて、自分の周りにいる人の事を書いてください。それが自分の形です。」というような事をざっくり言われまして。
「えっ。なんだそりゃ?!?!?!自分のことなのに?!?!」とその意味がよくわからず2日程拗ねてました。(すみません)

でも他の人のフィードバックや、4月の課題提出、懇談会も交えながらなんとなく考えてみたら、「あ。私の中に私っていないわ」思ったのよね。
自分の理想とかこうなりたいとかそういう夢目標も強くなければ、こだわりもない。そのくせ強くみせようとするからちぐはぐしちゃう。
でも、こんなふにゃふにゃしている自分と長く付き合ってくれる人達って、私の中の何かを好いていてくれるから接してくれる訳じゃないですか。って事は、私より私の事を知っている可能性が高い……。と。だから周りの人のことを描けば自ずと自分の事も描けるような。3月のフィードバックで言われた事の意味に、少し指が触れた程度に。気づいたのよね。
自分1人じゃ自分の事ってわからない。他人との境界線を自覚して描く事で初めて自分の境目が見えてくる。そりゃ、言われてみれば当たり前にそうなんだけど、その当たり前こそなかなか気がつけないものです。

それにしてもたまちゃんレベルのキャラを有する輩など特にサークル仲間を中心にまだ転がっているし、そんな人達の事を書いている瞬間は自分でも楽しい。
普段ルサンチマンに塗れた顔をしている私が、水を得た魚のように生き生きとしている瞬間はなかなかない。それを後から描き直す事は、またその時の楽しかった記憶や腹抱えて笑った時の感情を追憶することだ。精神衛生的にも悪くない。(もちろん筆が止まった瞬間書くの嫌になりますが。)
その経験を経た先の自分の考え、読み手に伝えたい事は、まず頭に置く。
後はオチをそこに持っていくのに気を使いながらも、バカみたいな人達とのバカみたいな瞬間を、読み手に対してバカみたいに見えるように描く。というのも、私の主張を伝えると同時に、周囲の人間のバカさ加減も伝えたいから。一緒に笑って欲しいから。

例えばそれが4月の課題に出てきた奥手で人間嫌いででも優しい後輩君もそうよね。バカみたいに面白おかしく描く訳じゃないけど、私が思う彼の魅力を描く作業には変わりないな。そこから漏れる自分の本音が見えてきたりして。
4.5月の課題を書いて、振り返って、自分がこれからこんな風な段取りで文章書いていけばいいんだ〜というのがクリアになった。あー、適切なフィードバックってめちゃ大事。
同時に私もグループ外の人達の課題にもどんどんフィードバックしていこうと思った次第でございます。

さて、最近はいい加減毎日1つnoteに何か書こうとしているんだけど、テーマ選定に困って1日が終わるループ。
みんなどうやって書く事決めているんだ……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?