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私小説と売春と俺とお前と私とセカイ。

同居人と付き合いだしてから、文章を書かなくなった。それは3年前2015年を皮切りに、文章を書く量がめっきり減った。4分の1以下に減った。
ひとつに書くための時間が減った。付き合いだして間もなく同棲を始めた為、通勤時間が大幅に減った。通勤時間で携帯にメモする事も減ったんだ。次に今度は家事をやる時間が増えた。そして最後に、同居人と一緒にいる時間が増えたので「執筆する際の孤独」の感覚を掴む事が難しくなった。

私がものを書くには、原動力となる感情体験境遇と隣合わせになる必要がある。そこに同居人はいて欲しくない。同居人と一緒ににこにこしている自分とは逆の、全くひとりぼっちな自分と一緒にいる必要がある。そんな孤独感に上手く浸る事ができ、コントロールをする事がなかなか億劫かつ面倒で、一度この孤独感に入ってしまったら抜けるのにも少し時間がかかる。
孤独であればあるほどいい作品が書ける、独身であればあるほどいい作品が書ける、と言うのはあんまり信用もしないが、(そんな事言ったら村上春樹は学生結婚してますから)ただ、「孤独スイッチ」の切替が上手い人ほど、文章を長く書き続けられる気がする。

なんて言うことを思いながらも、だらだら文章を書いたり書かなかったりする時期を過ごしていた。

そんな時にたまたま小野美由紀さんのnoteの記事を読む。
https://note.mu/onomiyuki/n/n4ccc689e4b2f

アー。よく言うよね。身体の切り売りがどうこうって。面白いことおっしゃるなあ〜と思うと同時に自分の事を思い出す。

そもそも私も私小説を書き殴り、それを外に見せる(ないしは文フリなどで売る)というのは売春とさして変わらない行為だと思っていた。

以下、2013年に私が書いたエッセイからの引用。

(事実)

私が書く文章は、今の所、私の事を見てよ、構ってよ寂しいよー、と言う承認欲求を原動力にしている。(以下その類の感情を承認欲求と纏めて呼ぶことにする) 自分の作品は作品であると言う意識が、人の何倍か欠如していることも、もう一度記しておく。

(仮に)

この承認欲求埋めの為に文章を取りまとめた本を作る、そして、売る、そうすると、自分の承認欲求を金で取引する事になる。

(つまり)

これって、自分の価値を他人に委ねたい、自分自身に自信もないけれど、1人になりたくない、構って欲しい、だから、だからと、常に虚無感に溢れる女子高生がやる売春と、思考プロセスとしては近くないか?身体売って自己承認得るのと、理屈としては変わりないのではないか?

引用元→Consumed with Jealousy.
※2013/12月に公開。心因性失声になった日から1週間、考えた事思った事を書き殴った変な文章。15000字くらいあるから盆休み暇で暇でどうしようもない人はどうぞ。

寂しさにかまけて文章書き殴ってそれを人に見せるのと、そこらの男とセックスしてあいだ埋めるのと、私的にはそんな変わらなかった。この頃と言えば長年セフレの友人がいて、私が一方的にそいつの事が好きで、でもいつまでも1番になれなくてっていう気持ちを抱いてたから、その気持ちがそのまんま文章になったものばかりであった。私のなかでは売春感満載。でも別に、そうやって書くことで昇華して行って何とか生きながらえて来た。
どーでもいいセックスもオナニーも自傷も過食嘔吐もそして文章を書き殴る事それを人に見せつける事が私の中では全て同列のものである感覚を持っていた。

同居人と付き合い始めてそして今、文章を書く事はなぜ減ったのかもう一度振り返ると、多分それは「もう売春しなくていい」からであり、さらに「流石にパートナーがいるのに他の人と寝るとかできねえなあ」と言う感覚に近いものをふと感じた。
自分について(それは自分の気持ちだけについて)書く時、その心の闇を外に向ける時、私は「これは内省文で作品なんかじゃない」とエクスキューズをしながら、心底で圧倒的に読者を期待し、いいねの数を求め、コメントの数を求め、承認欲求を満たそうとしていた。「大した身体じゃない」と言いながらブラジャーとる瞬間みたい。知らない誰かと交わる瞬間、濡れる瞬間の為、私は文章を外に見せていた。のではなかろうか。
最近はあまりそんな感じの文章は書かないようにしてるけど、時々あるよ。作品にもならないメンヘラ女の内省文書きたくなる時。全部やになって、他の人とセックスしたい今の自分をゼロにして欲しいって思う感情とどこか似ている。
でもその感情のまま文章書き出しちゃうと、どこか同居人に対する申し訳なさみたいなのも感じてしまう。売春してる後ろめたさを感じてしまうというか。それもそれでくだらないなと思う。
逆に文章の中ではどれだけ不倫しても他の人とセックスしてもそれってアリなんでしょ?と言う捉え方もできるわけで。

いずれにせよどんな形であれ心身の切り売りをして文章書いてるのはおっしゃる通りで、切り方売り方がどうなのか、と言うのは考える余地がありそう。

と、では今なぜこんな事書いている時間があるかって?
それは日曜朝にやらかしたぎっくり腰の弊害が残り椅子に座れない事を理由に会社休んだからだよ。(盆休みは取らず、8月下旬に休みます)

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