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切実に自分を突き放し、そしてまた、文字と対峙し言葉を紡ぐ。(2018/3第1回目課題リライト)

1.書くことが好きでもない私が、また金払って「書く場所」に存在している件

やっぱり私は書くのが遅い。
正確には、書くのが遅いというか書き始めるまでが遅い。
「焦らなくていいですよ」なんて言われた日にはもう、じゃぁいっか降りてこないもんは降りてこないし♪と、後回しにしてしまう癖が最もよくない。

「私のかたち」という課題が提示されてから約10日間、脳内に浮かんだことを幾つかメモ帳に書き起こした。ずっと抱える生き辛さや、集中力のなさなど、今の自分が抱える問題について多くメモをしていた。そのうち「気持ちが盛り上がってきた!」と思えば、その10分後、「え、これめっちゃ暗い話だし……」と書き溜めた内容に飽きてしまうことを繰り返していた。これに時間を費やすうち、どんどんと皆さんの課題文が提出されていく。「心の奥底の痛い部分ですが……」みたいな注釈もあったりしたけど、一様にして皆さん書くことを楽しんでいらっしゃった。その一方で「羨ましいな~わたしゃ何書いていいか全然わかんねぇよ、自分にかたちなんかないよ……」と弱音を吐く。こうやって考えちゃうのが私のかたちなのかなぁと思うけど、その話題についてもすぐに飽きる。「じゃあ、私何も書きたくないんじゃない??」という自問自答に嵌り、そのたび、「もうムリ~~~~~」と思って、諦めて寝る。
 第一、書くことは嫌いじゃないが、「書いていて楽しい」と思った記憶は1度もない。楽しいから書くのではなく、書かないと生きていけなかったから書いている。もやもやと私を苦しめる脳内の有象無象の思考を言語化し、自分の身体から切り離す。そして切り離した思考は文字になる。文字は記号だ。しょせん、記号だ。私特有の思考は、万人が識別可能な記号になる。もう、この記号の羅列は私特有のものではなくなる……。そしてそれを他の誰か(読者というのだろうか)が読み、何か一言掛けてくれた刹那「ああ、これ書いてよかったかも」と思い、私を苦しめた思考は一時的にどうでもよくなる。

 実家にいた頃はしょっちゅうそんな時間を作っていた。また東京に出てきて同居人(パートナーの男性)と一緒に住むようになってからは回数こそ減ったものの、「書くか」と思った日には筆を取った。文フリにも出た。駆け出しのWebページで連載を持たせて頂いた。書籍にエッセイを載せていただいた。宣伝会議の講座にも通った。ほんのちょっとだけライターの仕事もした。いい文章をFaceBookに書いたらいつもより多くのいいね!が付いていた。その時だけ「ああ、書いてよかったかも」と思う。しかし、いい文章を毎日書くことは楽しい作業でもないし、続ける必要もない。特に「人に伝わる文章」を書くのはそれは他者の視点でものを見ることが苦手な私にとって、人一倍辛いことだ。週5で働く傍らで続ける気がなかった。書く時間があれば友達と酒を飲む時間の方が楽しい。辛い思いをしてまで書いたところで私に1円も入ってこないし、むしろ出ていくお金の方が多い。今だって呼吸が浅くなりながら、自分の文章と対峙している。結構逃げ出したい。

しかし、事実、それでも私はここにいる。お金を払ってでも、また「書く場所」にいる。

ここにいるってことは、「書きたい」ってことで、
「書きたい」って言うことは「伝えたい」ってことだ。

2.私を突き動かすのは、いつだって私以外の誰かの存在

来てくれてありがとうございました。顔が直接みられて安心したよ。元気そうで嬉しいです^^* 書きたくなったらいつでも書いて読ませてください、ずーっと待ってます。「しらいしななこ」の切実なのに自分を突き放した感じ、やっぱり好きだなーって思います。

平日の帰り道。面白くもなくやりがいもない仕事を終え、都営三田線の千石駅で降りる。何の変哲もないいつもの帰り道。100円ローソンでベーコンとカット野菜を購入し、車の往来激しい夜7時の白山通りを、ヒールを引きずりながらだるそうに歩く。その途中、私はふと、FaceBookにあったコメントを思い出した。思い出した途端、涙が出て来た。3年程前、書籍にエッセイを載せてくださった方で、私の見るに堪えぬとっちらかった文章を最後まで編集してくださった方だ。今、私が何も書いてなくても、「待ってます」って、言ってくれる人がいた。特に「切実なのに自分を突き放した感じが好き」 と彼女は私の文章を初めて読んだころからずっと言ってくださっていて、その言葉を私は1番信頼している。自信がなくて飽き性な私には、私の書くことの良し悪しがジャッジできない。それなら、一旦彼女の言葉に寄りかかろう。

「私が書きたい事じゃなくて、彼女のために、今の私について書こう。」

そうすれば、おのずと「私のかたち」が書ける気がした。

先日、土曜日の昼間、私は同居人を実家に連れて帰った。彼と付き合ってからこの春で3年経つ。今は2人で文京区と豊島区の狭間辺りで暮らしているのだが、そろそろ頃合いだと思い、来月入籍することにした。同居人は何度かうちに泊まったこともあるのだが、改めて2人で実家に帰ったのも、その報告をする為だ。

家に着いてすぐ、両親が予め作ってくれた「結婚報告をするための空気」に私達は少し助けられた。何もないちゃぶ台の前に座らされ、母親がお茶を持ってきてくれた。でも予めLINEで「昼ご飯は餃子パーティーだよ」と母親から聞いていたから、異様に緊張することはなかった。
お茶が揃って母親が席についたタイミングで、同居人が口を開いた。
概ね「ご挨拶遅れ申し訳ございません・来月入籍いたします・式は挙げません・両家顔合わせの日程はこれから調整します・よろしくお願いいたします」と言う内容だった。それに対して両親は「わかった・おめでとう・日程早めに連絡ちょうだいね」と返事をした。私はその場で適当に「あ、ありがとうございます」と言っていただけだった。客人がやってきたとにこにことその辺を駆け回っていた柴犬の小太郎は、ご飯がなかなか出てこないことを悟ると退屈そうにテレビの前に寝っ転がってしまった。私も父も母も同居人も、皆そんな小太郎の様子が一番気になっていた。

こんな風に、【業務連絡】は30分ほどであっさりと済んだ。

入籍の報告に世の中が思うようなドラマチックな場面なんて1つもなかった。両親・同居人・私の中で最も緊張したのは同居人だろうし、報告を受け安堵したのは両親だろう。ただ、私の身体はその場にあっても、心は吹き抜けのリビングの上の方にいてそんな自分をぼーっと眺めているだけだった。当事者意識は、今もあまりない。だから、両親に言われた「おめでとう」の言葉も他人事のようであった。「あ、これっておめでたいんだ、へぇ。ふーん……。」って感じ。めでたさで言えば第一志望ではなかったにせよ、明治大学に受かった時の方がめでたい気分になったし、塾講師のバイトをしていた時に、担当生徒の志望校合格連絡を受けた時の方が嬉しかった。「結婚」がめでたいことだと言われるのは認めるが、自分事となるとこの様だ。でも意外と当事者になった人間は「周囲が思う程盛り上がっておらず、冷めた状態」なのだろうとも感じた。周りはおめでとうと言えば済むけど、本人たちが越える壁はここから出現するわけだし。しかし「プロポーズはされていない、結婚式はしない、結婚指輪は買わない、新婚旅行もいかない、引越しもしない、両家顔合わせの場所を決めるまでに疲弊する……」と、現状盛り上がりには欠けるのは間違いない。そこで「じゃあ何で結婚するのか」と問われても困る。私は結婚式がしたくて結婚するわけではない。「これからも共に生活したい相手だから、家族になる」のであり、それ以上の理由が果たして必要なのか。

3.事実は事実、主観は主観、私は、私。

 とにもかくにも「しらいしも結婚して落ち着いた」とか「彼を支えていく立場だね」とか「家庭に入った」とか、そんなイメージを周囲に抱かれていることを恐れているから、冷めた目線で自分を見つめているのだ。私が今まで背負ってきた悩み、身体の不都合、不安、困り事、そんなものが結婚によって全て解決するはずがない。自信がなくて書くのも遅く、チャレンジ精神がなくて飽き性な私は変わらない。その「変わらなさ」を世間の「おめでとう」というイメージでなかったことにしたくない。しかし、現実は「幸せになってね」って勝手に言われて、飲みの誘いも「旦那さんいるから誘いづらくて……」と言われてるようになって、更に何年も経てば名前ではなくて「○○さんの奥さん」「××くんのお母さん」という代名詞で呼ばれるようになるかもしれなくて……。

 嫌だ。結婚した私にそんな概念付きまとうの、嫌だ。

 高校卒業して大学に行って新たな学問を学ぶのと同じように、社会に出て理不尽さや不条理さを学び大人になるのと同じように。経験値を積んで、次のステージに行くだけのことなのに。結婚はそれと同じことなのに。同じ様に「わたし」が次の「わたし」にアップグレードするだけなのに。だからこそ、アップグレードする自分の姿を自分で書き残しておく。世の中に対するズレを、冷めた目を、違和感を。そして今度は優しい言葉を掛けてもらう側ではなく、他の人の心にすっと届いて、「読んでよかったかも」と思って頂けるような言葉を。文章を。

【切実なのに自分を突き放した感じ】
貴女に掛けてもらった何気ない一言が、どうか私の中を巡って、また新たな言葉になりますように。そして『この感じ』が、私以外の誰かの心に寄り添う時が来ますように。そんな願いを込めて、私は私のかたちと永遠に対峙し続ける。


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