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ひとりひとりに人生がある物語がいい。

湊かなえさんの小説が好きだ。
本屋で平積みにされた『告白』の単行本をふと手に取ってから、いちばん好きな作家は湊かなえになった。


『告白』『Nのために』など映画化・ドラマ化された作品も多いので有名かと思うが、話は重かったり暗かったりするものばかりだ(だいたいの本で人が死ぬ)。
とくに家族関係、友人関係の歪みを描くのがうまい。
イヤミス= 「読んで嫌な気持ちになったり、後味の悪さを楽しむミステリー」の代表的な作家と言われているらしい。


章ごとに視点が切り替わるオムニバス形式が多く、ひとつの事件やひとつの物が色々な角度から描かれる。
驚いたのは、同じことを描写しているはずなのに、信じられないほどの乖離があること。
「大豆製品」と言うときにしょうゆと言うか豆腐と言うか味噌と言うか、それくらい違う。 もとは同じだと言われないと気付かないくらいだ。


書いている人は湊かなえさんひとりなのだから、リアルかと言われればリアルじゃないかもしれないけれど、どこにも無理がない。

なぜそれでこんなにも心を掴まれたのかとしばらく考えていたのだが、今のところ答えはこうだ。


「他のだれか」のための「だれか」が存在しないから。


他人からはただ優しい人に見えてもただ残酷な人に見えても、その人なりの世界があり価値観があり人生があるのだ。
みんな「誰かの物語の脇役」ではなく「自分の人生の主役」をやっている。


1章を読んで好感をもった相手が、実は1章の主人公のことを裏切っているのが2章で明らかになったり、読んでいてうっかり感情移入した主人公が他の人の視点ではただ残忍な殺人者だったりする。
そのように極端な多面性のある人たちばかりなので、読み終わったあとに登場人物を思い浮かべると現実では関わりたくない相手しかいないこともざらにある。
そもそも、みんながみんな問題なく歪みなく間違いない人生を過ごしていたらミステリーにはならないだろう。
誰もが「信頼できない語り手」と言える。


でも、そこがすごくリアル。
リアルな世界に、ただの脇役なんて人はいないから。
作者から同じだけの愛情を注がれて生まれたたくさんの人達が織りなす物語がとても好きだ。

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