見出し画像

吹けば飛ぶ一学生の、アンチ自己責任論

 近頃は、コロナウイルスによる社会混乱のせいで、多くの人が大変な目に合い、またたくましくもそれに立ち向かってこられたのだろうし、そして実際に今もそうなのだろうと思う。そんな最中、日本だけ見ても九州で大きな災害、海外に目を向けても、香港での自由民主主義への侵害やアメリカを中心とした黒人差別の問題が、コロナ問題と同時に目に入る。このように苦しむ人々がたくさんいる現実を日々まざまざと見せつけられるのは、非常に心苦しい。それらを見て、自分なりに考えて、心が消耗していくのを日々実感します。 
 またそのような報道が続くなか、東京都知事選挙と東京都議会補選が2020年7月5日に行われました。僕は都民ではないけれども、その動向を見て、感じることがあります。もっと言えば、都知事選の様子を見て、もうほとんど心が折れかかっている。

 僕がここでしたいのは、情けないことに、みなさんへのお願いです。僕の悩みはもちろん僕の問題なのだけれども、現状、どう頑張っても僕にはそれを解決する方法を持ち得ない。日本国籍を持たないために、参政権がないからです。だから有権者のみなさんにはお願いしたい。投票に行きませんか。もう少しだけ政治や社会に興味を持ちませんか。先の都知事選の投票率は相も変わらず、若者を中心としてあまりにも低すぎた。まして、露骨な差別意識を表明する政治家や、「高齢者がコロナで亡くなった場合には寿命が来たと思ってもらう」と平気で言ってのける政治家に支持が集まった現状はさすがに看過できない。

 そんな様子を見て、これまで、おそらくはほとんどの同世代の人たちよりも強い関心をずっと持ち続けてきた社会というものに対しての期待を、僕はもうほとんど諦めかけています。いやきっと、みなさんももう精一杯なのだろうと思う。日々の生活に追われて、政治や社会のこと、隣人のことについて考える余裕なんてどんどんなくなってきているのでしょう。これ以上苦しまずにすむには、もっと自分が頑張らねばならない。明日生きる不安を軽減するには、自分一人努力しないといけない。そう思って生きてきているのでしょう。でもみなさん、もう十分頑張ってきたんじゃないでしょうか。頑張りすぎなんじゃないでしょうか。

 あなた一人で、本当に歪みきったこの社会構造の中で生きていけるのですか?大卒であれば暮らしは安心ですか?あなたはここまで難なく生きてこられる程度にはラッキーな環境に生まれたかもしれません。しかし、断言しますが、今後無関心でいられるほど裕福ではない。経済学の知見によれば、世界中の資本の半分は上位1%の資本力の人間に独占され、われわれのような99%の人間は、残り半分の資本を食い潰しあっている。その一方で、現代の人間が労働によって生み出す資本は世界の総資本の中のたった15%しかない。つまり、貧富の差は相続によってほとんど決まっていて、われわれがどれだけ働こうが、この苦境から自力で抜け出す術などほとんどない。
 あなたの「生まれた環境ガチャ」のラッキー効果はいつまで続くのですか?仮にあなたが大企業と呼ばれる組織に加入しようが、将来にわたって搾取されるだけの労働者である現実はほとんど変えようがない。子供の7人に1人が貧困で、日銀によれば20代の6割は貯蓄がない。大学生の2人に1人は返済義務のある奨学金を借りないと勉強できない。
 そんな状況なのに、この国の財務大臣によれば、退職後には2000万円の貯蓄がないと暮らしていけないらしいのですが、本当に僕たちは2000万円貯めておけるんですか?大卒の初任給はいくらだったでしょうか?いやそもそも、僕たち世代の退職年齢は80歳なんて言われてますが、僕たちはそんな年齢になっても本当に働き続けられる体力があるのでしょうか?
 社会経済の状態がこんなに行き詰まっていて工夫の余地の狭い状況なのに、「即効性があり、イノベイティブな」ビジネスがもつ可能性の方が政治参加の可能性よりも本当に大きいのでしょうか。本当に「政治的なことを考えるコストを考えている暇があれば、ビジネスで自分が成功することを考えた方がより合理的」なのですか?

 もう一度聞きます。「あなたのそのラッキーはいつまで続くのですか?」僕は将来については不安しかありません。「自己責任論」に立脚して、いくら自分が頑張ろうが、自分が生きやすい世の中がくるとは到底思えない。そうなれば、あとは政治に頑張らせるときではないのですか?本当に政治には無理なのですか?いやむしろ、政治にしか無理なのではないですか?
 経済的にも基本的には搾取されている事実に加えて、僕たちはさらに、異なった文脈で苦労し続けているでしょう。僕のように外国にルーツがあって差別される人たち、性的志向性で苦しむ人たち、社内で昇進できない女性、各種障害をもつ人たち。その人たちが生きづらいのは、個人的な経済生産性がそうでない人たちに比べて低いから、努力が足りないからなのですか?
 「そんな人たちは確かにかわいそうだけれども、正直わたしには関係ない。」そう考える人もいるでしょう。では、あらゆる目立った社会的ステータスにおいて「普通」で「マジョリティ」であるあなたにお尋ねしたい。
 多額のお金を借りて大学に行かねばならないのは常識なのですか?あるいはそれはお金を持たないあなたが悪いのですか?「教育」とは公共財であって、ひいては途中まで国民の義務ではなかったでしょうか。デンマークでは、幼稚園から大学までの学費が全て無料で、かつ大学に在籍していれば月額で7万円の給付が得られます。デンマークよりも遥かにGDPが高いこの日本でなぜ7万円もらえないのでしょう。なぜこの国では、国家予算のたった5%しか教育に支出されていないのでしょう。
 香港での自由の侵害は、中国共産党の独裁的な特質が生み出した対岸の火事ですか?NHKの主要人事や民放各局の報道内容に、日本政府は介入した疑いがあったのではなかったですか?実際、Freedom Houseという団体が報告している「世界報道自由度ランキング」という指標で、香港と日本はともに「顕著な問題」がある国々として同じレベルに位置付けられていますが、これはどう考えられるでしょうか。
 政府は、官僚の自殺にまつわる公文書を改竄し、8年間にもわたる賃金統計を隠蔽したのではなかったですか?
 Black Lives Matterで顕在化した差別構造は「黒人」という「極めて特別な人種特有の」悲惨な特徴なのですか?日本人でありさえすれば、いかなる状況でも差別されないのですか?本当の問題は、数あるグループの中からたまたま「黒人」というグループを選び、政治的な不満の吐け口として利用し続けてきた政治実践のあり方ではないでしょうか?この不条理な政治利用が「人種」を離れて「出身地域」や「財産」や「年齢」や「教育水準」などに及んだとき、「自分はそれでも社会から迫害されない」と、どうして言い切れるのですか?
 個人の側面の切り取り方によって、いくらでも迫害されうる社会になってしまったせいで、15歳から39歳までの人たちの死因の第一位が、自殺になってしまっているのではないですか?

 これらの差別や不平等、自由の侵害、不正、不条理は全て、自分に無関係なことなのですか?これらは自分個人の努力で解決されるべき、あるいは解決できる問題なのですか?

 もう「自己責任」は限界ではないですか。「自分一人生きていければいい」と考える人たちにも、もう一度考えてほしい。もはや、自分一人生きていくのにも、他人と助けあって、それらの不合理に立ち向かう必要があるほどに、社会の基盤が弱くなっていませんか?「1票では社会なんて変わらない?」そうかもしれません。だから、やることはもう一つなのでしょう。「みんな」でやっていくしかないのです同じ考えをもつ人同士肩を組んで、そして隣人同士対話して、そうやって考えを地道に深め合っていくしかない。ただそうするだけで世界は変わりうるし、またそうすることによってのみ世界は変えられるのでしょう。いま上にあげた政治的な問題は、別に現政権や、特定の人間グループの特質によってのみ起こっているのでは決してない。有権者のみなさんが絶えず思考し、行動によって示さなければ起こりうる問題なのです。


 強調したいのですが、そのように行動し、現実を変えることは、あなたたちにはできる。すごく悔しいことだけれど、僕にはできない。僕ができることはあなたたちの遥か後ろで後塵を拝し続けること。僕は「有権者」ではない。そう、これを見ている多くのあなたがたとは違って、「権利」をもつ人間ではないのです。生まれながらにして、そんな「ババ」をひかされた僕には一生できない。不勉強を恥じながら、こんな散文を書くことしかできない。けれども、あなたたちは違う。自己存在に自信を持って欲しい。極めて厳しい生活環境の中で、「自分にはできない。自分は政治や社会なんていう壮大で複雑なものを考えられるほど有能ではない。」と思い込まされているだけです。でも社会や政治について語ることは、本当は全く難しいことじゃない。社会や政治について考えることは自分について考えることです。自分一人がどんなことで苦労しているか、あるいはどんな環境が自分には楽しいのか。そんな風に考えることが社会について考えることです。それに迷う時は、「みんな」と話せばいい。
 「みんな」の中に僕をいれてくれる人がいるなら、是非僕とも対話しましょう。そのときのために、不十分ながらも政治や社会について学んできたつもりです。だけど、やっぱり僕には踏み込めない領域がある。そこについては悔しくて情けないけれども、ほんとにお願いしかできない。僕がどれだけ声高に政治を語ろうと、どれだけの意思を持ってデモに参加しようと、僕が考え込んで寝られない夜を何度経ようと、「あなたには関係ないのにえらいね」と言われてしまうのです。なんと悔しいことか…!!!こんなに自分の存在が薄っぺらく感じることはない。自分が考えたことが世の中に残せない。自分などいなくても同じなのかもしれないと思ってしまう。僕はこの日本においては、吹けば飛んでしまう存在なのです。
 でもあなたたちは違う。せめてあなたたちが希望を持って行動する様子、希望をもって社会を語る様子を見せてほしい。僕にはそれを見ることだけが唯一の希望なのです。それさえ見られなければ、いよいよ社会を、自分という存在を、大げさに言えば自分の命の意味を、僕は諦めなければいけなくなる。心ない誰かが言った「そんな現状に不満なら日本からでていけばいい」という意見に屈して、ほんとうに違う土地を探さねばならなくなる。あなたたちのもつ”たった1票”は、実は人間1人の存在感を左右するくらいには十分大きいのです。

 リベラルデモクラシーは人類の歴史上、ほとんどの国で、人民が血を流し、革命を起こしてなんとか獲得してきたものです。敗戦後に様々な組織や制度が民主化したという意味では日本も血を流してそれを獲得したと言えるかもしれません。しかし、市民による革命が起点にならなかったという意味では、ひょっとすると、真の自由民主主義はまだ始まってないとも言えるのかもしれません。
 ともかく、心に銘じておかないといけないのは、自由や民主主義は、時には人の命が犠牲になるほどに獲得・維持することの難しい代物だということです。市民の政治参加が低く、命どころか、社会に目を向ける小さな努力さえ惜しまれる今のままでは、日本が香港になる日もそう遠くないと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?