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コーダはヤングケアラーなのか

「ヤングケアラー・若者ケアラーのピアサポートの場を創る~ピアサポートグループの実践報告~」をオンラインイベント(2020/8/9)に参加させていただいた。
主催は、一般社団法人日本ケアラー連盟 ヤングケアラープロジェクト。
100人ほどの方が参加していた。
私はこのようなオンラインイベントに参加するのは初めてだったが、かなり面白かった。
コロナ禍でこのようなイベントが普通になっていくのだろうか。
また何かイベントがあれば参加したい。

さて。
このイベントでは「J-CODA(ジェーコーダ)」の発表もあった。
「J-CODA」は耳の聞こえない親をもつ聞こえる子どもの会である。
今回はAちゃんが発表してくれた内容をもとに書き進めたい。

まず、耳の聞こえない親を持つ聞こえる子ども(コーダ)がヤングケアラーにあたるのかどうかというところだが、「親へ通訳」をしている部分はやはりケアしているということになるのだろう。
したがって、コーダもヤングケアラーと言える。

しかし、コーダは生まれながらに親が聞こえないことが当たり前なので、親をケアしているという感覚が薄い。
コーダは物心つく前から、親への通訳を無意識的にしているのだ。

親がろう者である場合、「手話」と言う言語が家庭内に存在する。
目で見る言語だ。
この「手話」を獲得できるコーダと、そうでないコーダがいる。
ここが非常に頭を悩ませる問題であり、重要な課題でもあるが、ろう者にも聴者にもなかなか理解されにくく、外からは見えにくい部分でもある。
親と会話ができないコーダがいるのだ。
私はといえば、手話も日本語もよく分かっていない子ども時代を過ごした。
時代背景も関係するかもしれないが、ことばが分からず苦しんでいるコーダは、おそらく今もいると思われる。
コーダの言語獲得は非常に大きな問題だと私は考えている。
「手話」の部分を「外国語」ということばに置き換えて考えていただくと分かりやすくなるだろうか。
まぁ、コーダにとっての外国語は「日本語」の方なのだが。

そして、ろう者は「ろう文化」の中で生きている。
「ろう文化」って何?と思うかもしれないが、こちらも「ろう者=外国人」だと考えていただきたい(いや、純粋な日本人なんだけども)。
そうするとなんとなく想像しやすいのかもしれない。
ろうコミュニティの中で生きているろう者たちには、ろう者たちのルールがある。
家の中にはパトライト(最近はフラッシュ点滅式?)があり、電話の代わりにFAXを活用する(今はスマホがあるからFAXは持っていないと聞くが)。
手話サークルの存在もろう文化のうちのひとつだろう。
コーダなら子供の頃に、手話サークルに1度は連れて行かれたことがあるのではないだろうか。
季節に合わせたイベントを毎年定期的に行い、ろう者で集う文化がある。
土日は旅行やイベントで家に居ない。
「全日本ろうあ連盟」や「聴覚障害者協会(ろう協)」など、コーダならなんとなく知っているのではないだろうか。
授業参観や家庭訪問に手話通訳者が来るのはコーダにとってはもはや当たり前である。
幼い頃からコーダは手話通訳者の存在を知っている。
他にもいろいろあるが、この辺りが「ろう文化」だろうか。

コーダは家庭の中ではろう文化、家の外では聴文化、適宜切り替えて生きている。
当たり前だが「手話」と「日本語」も生活の中で適宜切り替えている。
コーダにとってのこの当たり前は、おそらく世の中では当たり前ではないことなのだが、この辺りもコーダは無意識だ。

(感覚的には「コーダはろう者と聴者のハーフ」という風に考えて欲しいのだが、私の場合は両親ともにろう者なので、この言い方だと逆に分かりにくくなるのか……。)

・聞こえない親をケアしているという意識が無いコーダ
(一般的には思春期あたりで「通訳している」という感覚が出てくると思われる)
・そして、「手話」と「日本語」を両方話すことが必要とされるバイリンガル
・さらには、「ろう文化」と「聴文化」の両方に適応するバイカルチュラル

社会との関わりを持った時(特に他者と会話するとき)、「親の聴覚障害」が浮き彫りになるためコーダは混乱するのだ。

家庭の中で聞こえない親と接している時、聞こえないことを私は「障害」だと考えたことが無かった。
親が聞こえないことは「日常」なのだ。
本音を言えば面倒くさいことは確かだが、文句を言ったところで「日常」は変わらない。
それから、親が「聴覚障害者」であり、「障害者手帳」を所持していることは当然知っている。

「障害とは何か。」
いつも考えさせられる。

聞こえないことを障害と捉えるのかどうか、コーダの中の基準と世の中の基準がズレているように感じる。
聞こえないことを障害と捉えるならば、やはりコーダは親をケアしているケアラーになるのだろう。

聞こえないことが当たり前の世界に生きるろう者には、「ろう文化」というユニークな世界があるのでそこに「障害」は感じない。
しかし、聞こえる世界と交わる時に「障害」が生じてくる。
コーダはそれを自分や親の経験をもとに、感覚的に知っている。
そして、このことをうまく言語化して伝える事のできないコーダの方が圧倒的に多い。

「ことばと文化と障害の狭間で揺れるコーダ」

Nさんが呟いてくれたこのことばをテーマにして、コーダたちで語り合いたいと思う。

※今回書いた内容は、親がろう者のコーダについてである。親が難聴者・中途失聴者である場合は、この限りではない。

ぜひ手話でご挨拶を申し上げたいところではございますが、手話には文字がありません……なんということでしょう!…ということで、これからも日本語で文章を書いていきたいと思う所存です。