20歳大学生が2個上のコンカフェ嬢にガチ恋した1年間

はじめに

先日、私の推しが卒業した。
悲しいことに私の周囲のコンカフェ界隈では「繫がり解雇」「飛んだ」などの言葉も耳にするため、就職に伴う卒業であったことだけはまだ良かったなと思う。

私は所謂『ガチ恋オタク』だった。
「結婚してほしい」「もう貴女以外を好きになるなんて考えられない」「私の事見捨てないでよ」なんて思っていたし言葉にもしていた。ガチ恋オタクの中でもだいぶ痛い部類だったと思う。「No」の返事すら貰えなかったけど、最後には繋がりだって求めた。まあ勿論繋がれてなどいないのだが。

当然、めちゃくちゃ病んだ。Twitterからもしばらくログアウトしたし、真剣に死にたいと思うくらい自暴自棄になった。それくらいその人の事しか見えてない1年間を過ごしていたから。
これを書いている現在、卒業イベントからはもう3か月が経ったけれど、いまだに引きずっている。

正直、今はもう自分の気持ちがわからない。好きなのかすらわからない。もう嫌いなのかもしれない。幸せだった頃と、私にとって都合の良かったその時の推しの記憶にしがみついているだけな気もする。

当時のリプでのやりとりやチェキ帳を見返すと、いまでも涙が溢れてくる。このnoteは、自分の気持ちとちゃんと向き合うために、また自分の気持ちに区切りをつけるために、そして同じような病み方を繰り返さないために、苦しみながら書いたものである。

記事としての体裁を保てていないような独りよがりな自分語りかもしれないけど、誰かの暇つぶし程度になったらいいなと思う。あと、推しにガチ恋しかけているオタクを踏みとどまらせられたらいいな(笑)


1年間を振り返って

少し長くなるがここからは私が推しにガチ恋を拗らせるに至った経緯を、時系列に沿って振り返ってみようと思う。

推しとの出会いは2020年12月、以前から通っていたアイドル現場の友人に誘われて一緒に行ったのがきっかけであった。そしてこれが、私にとっては人生初のコンカフェでもあった。
顔がめちゃくちゃタイプだったというわけではない。しかし、一目惚れに近いものだった。話した時間は少しだったし、一対一で会話したわけでもなかったのだが、なぜかすごくその子のことが気になってしまい、もっと話してみたいと思い、その翌日に一人で会いに行ってしまった。我ながらすごい行動力と度胸だと思う。
2人でどんな話をしたのか、今となってはほとんど思い出せないが、この時はまだ自分がこの先こんなにものめりこむなんて想像もしなかった。

その後、その子は少しの間地元を離れてしまい、次の出勤まで1か月ほど空いた。時間が経ったこともあり、わざわざ一人で会いに行くほどのモチベは失われていたのだが、また友人に誘われて行く機会があり、その日は初めてチェキも撮った。
初めてのチェキでは、何よりその距離感の近さに驚いた。本人も自分で言っていたが、ゼロ距離で撮ろうとしてくるのだ。コロナ禍は地下アイドルの現場も規制が厳しかったため、久しぶりのマスクもビニールカーテンも無い状態で接触するチェキにめちゃくちゃ緊張した。
そして、もう一つ驚いたのがチェキコメの文量や内容。裏にぎっしり書いてくれた上に、そこにあったのは「可愛くてキュンキュンしました」「だいすきです」などの言葉。私もそれらの言葉を鵜吞みにする程オタク一年生ではないが、それでもやっぱり嬉しいことに変わりはなかった。

その日以来定期的に会いに行くようになったのだが、印象的だったのは私の誕生日の出来事。私は完全にその子目当てでお店に通っていたため、事前に出勤日を聞いており、その日は会いに行くね~と伝えていた。
2021年4月14日。その日は私が20歳を迎える特別な日であった。夜は家族とごはんに行く予定があったのだが、オタクとしては「誕生日に推しに会いたい」という気持ちが強く、夕方の少しの時間で会いに行った。
印象的だったというのが、この日のために色々準備をしてくれたこと。チェキを撮るときに、事前に買ってきてくれていたシュークリームをあーんしてくれたり、帰り際にクッキーをプレゼントしてくれた。
これはもう好きが増してもしょうがないと思う。こんなことされたら誰だって大切にして貰えてると感じて嬉しくなってしまう。
仲良くなってからのチェキに「あの頃はどうやったらかいとくんを私に落とせるかな~って考えてた」とか書かれてたし、最初からずっと私は推しの掌の上だったのだろう。

5月は推しの出勤が少なかったため、全て会いに行った。ここで毎出勤会えたのが良くなかったのか、出勤ツイートをしているのに会いに行けないのが辛く、「他の人が会えているのに私は会えない」というのが嫌になり、推しメンの出勤日を全通するようになった。
といっても夜職も転売もやっていない一般大学生の私にはそんな財力は無いため、それまで通っていたデビューから応援しているアイドルの現場に行く頻度も下がっていった。この頃から私はよくない方向へ進んでいたのかなと思う。

みんなはTwitterの「フリート」を覚えているだろうか?
些細なきっかけで、私は6月ごろからフリートで毎日「〇〇さんおはよ~」という投稿をするようになった。

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これは当時のフリートのスクショであり、このような文章をフリート機能が無くなるまでの2か月間書いていた。仲の良いオタクたちには「朝から読むには重い」「よくこんなの毎日書けるね」と言われていたが、自分でもそれはわかっていた。今思えば、これがガチ恋を加速させてしまった要因の一つだなと思う。
以前よりほぼ毎日その子に向けたツイートはしていたのだが、これによって毎朝絶対に推しメンのことを考えるようになった。これまで以上に推しが自分の生活の一部になっていき、日に日に思いも強まっていったように思う。

お店に通うにつれわかってきたことがある。決してキャストが少ない店舗ではなかったが、私の推しはその中でも1,2を争うほど人気の女の子であった。人に合わせた接客をするのが上手で、可愛くてノリが良く、下ネタだって笑って話すことが出来るため、私のような「推しに会うために来ている」というタイプ以上に「お酒を飲みながら可愛い女の子と話すのが好き」というお客さんからのウケが良かったのだ。
「自分でもおじさんキラーな自覚はある」と言っていたが、確かにその通りで、典型的な「同性から嫌われるが異性からは好かれるタイプ」にも見えた。またこの時点で3年目というベテランキャストだったこともあり、昔からお店に通っている年配の常連層からも好かれていた。自分と出会う前の推しを知っているお客さんが、そしてそんなお客さん達と距離の近い推しが、気に入らなかったのは言うまでもない。

この頃から、推しの事で病むようになる。他のお客さんと接している時の態度や会話内容が気になってしまい、嫉妬ばかりするようになった。
全てを打ち明けずともそんな気持ちを推しに漏らしてしまう日もあったが、派手にショットをするお客さんやことあるごとにプレゼントを贈っているお客さんに対し嬉しそうにする姿を見て嫉妬していた私に「なにかねだられ始めたら終わりだよ?」という想定外の言葉をかけてくれたことは何より鮮明に覚えている。
ぶっちゃけちょっと引いたけど、「特別お金を使えるわけでもないのに大切にして貰えてるってことは私の事気に入ってくれてるんだ」と思い込むことが出来たので、ありがたい言葉だったなと思う。

そして、私のガチ恋具合が増していく中迎えた7月。この月は推しの誕生月であり、バースデーイベントも行われた。
人気コンカフェ嬢の生誕の盛り上がりはすごい。実際、後半はシャンパンをいれてくれたお客さんを回るのが精一杯になっていたし、お店に入りきらなくて立っている人が増えたり仲の良い常連を奥にまとめておしこんだりしていた。
高額なシャンパンやプレゼントを渡す程の財力は無い。どんなに「会いに来てくれるだけで充分嬉しいよ」と言われたって、気にするものは気にする。
ある程度病む覚悟の上望んだバースデーイベントだったが、案外楽しんで終わることが出来た。まあ、今ほど拗らせていなかっただけかもしれないが。

むしろ、推しからの愛を強く感じる幸せなこともあった。バースデーメニューとしてランチェキがあり、私はそれを50枚弱買ったのだが、これが受け取ったチェキである。

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日記風に毎日のことを書いてくれたり、それ以外でも文字で色んな気持ちを伝えてくれた。オタクとしてだいぶ擦れてしまっている私は推しからの言葉を素直に受け取ることが出来ない分、こういった自分のために時間を割いてくれたことが目に見えて実感出来るものに弱かった。
普段からこれくらいの書き込みをしてくれる子ではあったのだが、この他にも2ショットチェキもあるなど枚数が枚数だっただけにここまでしてくれると思わなかったし、書いている内容も適当に埋めただけみたいなものじゃなく嬉しい言葉ばかりだったため、もう本当に泣くほど嬉しかった。なんなら家で泣いた。

「推され・私信は勘違い」というのが持論なのだが、この頃は本当に推しから好かれていたんじゃないかと思う。「かいとくんに会えるから働くの楽しみなんだよ~」もまるっきりウソな営業フレーズではなかったと思う。
苦手なお客さんに対しての態度が露骨な推しだったが、比較的私についてくれているときはのんびり喋ってくれていたし、Twitterもかなりの頻度で見てくれており、私が勝手に見ていたプライベートアカウントのツイートへのエアリプにリプを送ってくれることもあった。
この頃は幸せだった。私がガチ恋具合をあまり表に出していなかったから好かれていたのかもしれない。

その後8月からは約1か月の間会えない日が続いた。夏休みという事で推しが東京に行ってしまったのだ。
「東京に彼氏いる女のムーブじゃん」私もそう思うが、アイドルとコンカフェ嬢には彼氏or担当がいると思っているのでそれはこの際どうでもよかった。しかし理由はどうあれ、1か月も会えないのは寂しかったし、口では「私も寂しいよ」と言ってくれても、実際学校の用事があるわけでも無いんだしわざわざ東京に滞在し続ける理由はそっちで遊びたいからに過ぎないわけで、そこまで思って欲しいというのは私のわがままだとわかっていても、「結局わたしと会えなくても平気なんだよな」と実感してしまいすごく辛かった。

また、東京に行っている間に東京の店舗でも出勤することになり、急だったこともあって会いに行くことも叶わず、そのことでもさらに病んだ。ひたすら鍵垢でツイートしていた。卒業前くらいに「私の事いつからガチ恋だと思ってた?」なんて話をしたことがあるのだが、会えない日病んでるようになったあたりからガチ恋だと思われていたらしい。

いつからか鍵垢を作ったのもよくなかったなと思う。作ったきっかけとしては、掲示板で叩かれたことや想像以上に他のお客さんに一方認知されていたこと、リプのやりとりを見られるのが嫌だったなどがあるが、鍵垢を作ったことで自分の気持ちを外に出しやすくなり、結果的にメンヘラみたいなツイートばかりするようになってしまった。

しかし9月の再会は案外あっさりしたもので、それからはまた何事もなく会いに行き楽しく過ごせていた。
だが、その後11月上旬、オタク人生初、私は推しと喧嘩をしてしまう。
イベントがあり、その付近は東京からもたくさんのお客さんが来ていたのだが、推しがその人らばかりにすり寄っているように見えてしまいずっと気分が良くなかった。
また、それでいてその時期は忙しかったらしくTwitterもほとんど見てくれなかったため、会いに行っても他の客とばかり積極的に話す姿を見てしまうし、出勤している時間以外は気にかけてくれないしで、もう私なんてどうでもいいんでしょと拗ねていた。
そして私は推しに「別に国試落ちてもいいよ」と言ってしまい、怒らせてしまった。実際本音ではあった。私は推しに自分の幸せを掴んで欲しいなんて思える程大人ではなかったし、自分と幸せになってくれないなら出来れば不幸になって欲しいと思ってしまうくらいだ。内定が決まった時だって、試験の点数が良かったと嬉しそうにしている時だって、私はいつかいなくなる日の事を考えて憂鬱になっていた。
きっと私がそう思っていることは薄々気付いてくれてはいたんだと思う。「でも、ずっと頑張ってきたことだしそう言われるのは悲しいし嫌だった」と言われてしまった。今考えてもその通りだと思う。
すぐに仲直りできたし、いつまでも引きずっている私に「もうそんなに気にしなくていいよ」との言葉もかけてくれたが、やっぱり私は、一度言ってしまったことは取り消せないし、一度悪くなった印象はもう戻せない、そんな風に思ってしまう。今でもこのことは後悔している。

そして12月。この頃にはもう終わりが見えて精神的にしんどかったこともあって、全部オーラスして話せるだけ話すというスタンスにまでなっていた。
というのも、卒業自体は2月なのだが、学業が忙しいこともあり、12月下旬の出勤後はしばらく休み、その後2月に卒業イベントをやるということだったのだ。
しばらく会えなくて、会えた時にはもう卒業。こんなにつらいことは無い。どんな気持ちで再会を待ち望めばいいのかわからない。どう考えても「久しぶりに会えて嬉しい」の前に寂しい気持ちが溢れてしまう。
一か月間もの間「あいたい」「さみしい」「だいすき」私の気持ちを奪い続けて、大好きな側を悲しむだけ悲しませて、自分は就職前に最後に自分を好きな人の顔見れてよかったなんてスッキリしていなくなるなんて酷い、それなら12月にそのまま辞めてほしかった。身勝手にもそう考えていた。

しかしその1か月どう過ごしていたかというと、案外ヘラヘラ生きていた。現実逃避だったのかもしれない。でも、その推しと出会う前のような感覚でアイドルオタクに専念していたあの時間は確かに楽しかった。まあこの時は、1か月後、その間によく会いに行っていたアイドルが二人ともいなくなるなんて想像もしなかったのだが。

また、その間に私は人生で初めてコンタクトを作った。そんな大袈裟なと思うかもしれないが、極度の怖がりな私は目に異物をいれるなんて考えられず、何を言われようが拒否し続けていたのだ。
きっかけはもちろん推しの言葉。「一か月あったらいくらでも変われるから、次会える時までにちょっとでもかっこよくなってきなよ」と言われたから。
これは、「私のことばかり考えていてもしょうがないんだし、いなくなるのは変わらないんだから、他の事にも目を向けなよ」という意味だったんだと思う。それはわかっていた。ただ私は「私のためにここまで努力してくれるんだという姿を見せればちょっとは私の事気に入ってくれるかもしれない」という考えのもとコンタクトを作った。顔のむくみをとるマッサージとかしたし、普段1000円カットな私が美容室にも行った。我ながらちょっとけなげだと思う。

余談だが、このコンタクトはもうすぐ無くなる。もう一度作るかは悩んでいるところ。好きな人に良く思われたくて作ったものだから、もうつける意味が無くなってしまった。でも、目を慣れさせるために現場にもつけていっていた時期、私を昔から知るアイドルやオタクが「そっちの方が良いよ」と褒めてくれたのはけっこう嬉しかった。

そして迎えた2月の卒業イベント。正直、最終日の最後の会話以外はどんなことを話したかほとんど覚えていない。
それまでは「推しと話している時間以外も楽しく過ごせるように」と出来るだけ他の子とも仲良くなる努力をしてきたのだが、もう終わりなんだと思うと途端にどうでもよくなってしまい、酷い時はスマホを片手にうわの空で話していた。本当に申し訳なかったと思う。

混んでいたため満足に話せない日も多かったのだが、最終日はそれなりに高額なシャンパンをいれたこともあり、安いシャンパンからまわっていたため、本当に最後は、二人でゆっくり話すことが出来た。
冒頭で、自分の気持ちと向き合うために振り返ると書いたが、最後にどんな話をしたかだけは伏せさせて貰いたい。
忘れないために1つだけ書いておくと、推しは私に「かいとくんには幸せになって欲しいと思ってるよ」と言ってくれた。「私は〇〇さんがしあわせにしてくれないならどうだっていいよ」なんて言い返したかったけど、最後だからと頑張って飲み込んだのをよく覚えている。

その後は、東京でも卒業イベントをすると言われ仮病でバイトを休んで会いにいったり、シャンパン特典のプリクラを撮ったりと、卒業イベント後も2回会えたのだが、結局しんどい気持ちが増しただけだったので、2月を最後にした方がよかったのかなとは思う。
プリクラを撮った翌週くらいにまた出勤するとツイートしていたが、それは頑張って耐えた。会いに行かなくて正解だったと思っている。

反省─ガチ恋は認めるべきではない

さて、こんなところまでしょーもないオタクの振り返りを読んでくれたみんなに、最後に伝えたいことがある。(思ったより長文になってしまいびっくりしている)

それは、上にも大きく書いているが、「ガチ恋は認めるべきではない」ということ。推しと繋がって付き合えるなんてハイスペックな一握りのオタクだけ。「なんでこんなやつが繋がれたの?」なんて思うケースもあるが、それはたまたま需要があっただけ。そんな望みは捨てた方が良い。好きになったら終わり。もう幸せは訪れない。

本当は「ガチ恋なんてしない」がいいんだとは思う。でもオタクはチョロい。そう思ってガチ恋しないように出来るなら私のようなオタクは生まれない。

ここでの「認めない」というのは、たとえまわりにどんなにガチ恋だと言われても、少しずつ自分の気持ちに気付き始めても、「これは気のせいだ、私は推しのへの好きの気持ちがちょっと強めなだけなんだ!」と思うことである。

私は推しの卒業前に、真剣に「貴女の彼氏になりたい」「もう一般人になるんだから、私のこと選ぶ気がないならきっぱり断って欲しい」などと伝えてしまっていた。
推しがOGとしてその名前で新しくTwitterアカウントを作ったことも、コンプラ的な問題なのか、推しと言っていたアイドルの名前を使い、顔を隠し、たまに東京の店舗に出勤していることも当然知っている。
しかし、フォローすることも会いに行くことも出来ない。会いに行けば、きっと「会えて嬉しい」と言ってくれるんだろう。
でも、そんなこと言われても私はきっと苦しいだけ。相手と自分の好きの気持ちのギャップに辛くなってしまう。私はもう推しに対し「男の子」として愛されたいことを認めてしまったし、求めてしまった。そうなった以上、もう推しとお客さんの関係でニコニコ過ごせるわけがない。

もうそのお店には一生行かないと思っていたし、「さいかくんはもう一生来ないんだと思ってた」と色んな子に言われたが、推しのことで悩んで色々相談しているうちに仲良くなれた子もいたりして、なんだかんだ定期的に行ってしまっている。こんな私に優しくしてくれて感謝しかない。

ガチ恋なんて認めなければ、この先もたまには会えて、その度楽しく過ごせたんだろう。そんな関係になれていればどんなに良かったことだろう。
今の私は「もうあの人のことなんて早く忘れたい。嫌いになって、興味無いに変わっていって、早く私の中からいなくなっちゃえばいいのに」なんて思ってしまっている。身勝手な想いから憎しみばかり募る日もある。思いたくてこんなこと思ってるわけじゃない。でも、こう思う以外に、どんな気持ちでいたらいいのかわからない。

たくさんの人に「時間が解決してくれるのを待つしかないと思う」と言われた。でも、それはいつまで待っていればいいんだろう。3か月たったのにいつまでも前に進めない自分が嫌になる。前向きになるために頑張りたいけど、頑張る理由もない。1年間その人と会う事だけを楽しみにしてしまっていたし、その人に好かれることばかり考えていたから。私はもうどう生きていけばいいのかわからなくなってしまっている。

いつか、また夢中になれる推しと出会えた時は、絶対にガチ恋は認めないようにしようと思う。娘とか友達とか、そんな距離感みたいだねって笑える関係になりたい。

ここで、オタ卒する!自分のこと好きになってくれるイッパソ探す!となれないあたり、私は救えないオタクなんだなぁ



最後に 好きだった人へ

私は頑張って忘れようとしてるから、貴女にも私のこと忘れて欲しい
でもきっと、貴女は自分に興味の無い人のことなんて頑張らなくてもすぐに忘れられる人だよね
私みたいに重く愛されたいわけじゃなかったんだよね、好きになってごめんね
せめて、惜しまれる存在になりたかったよ


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