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「最近の若者はマッチの擦り方もわからん」と若者を嘆く先輩方は、木を擦って火をつける方法がわかんし、SNSやVRがわからんのだ。世代の違いを嘆くべからず。みんな常識知らずであることを認識し、謙虚にあらゆる世代間で教え助け合うのがダイバーシティだ。

男女平等はよく聞くけど、老若平等とは聞かない。
なぜだろう

外国で、海外に不慣れな日本人が日本人同士で固まるように、
どうも世代においても、同じ世代の方が価値観や話題、趣味、笑いのセンスなどが近く仲良くなりやすく固まる傾向がある。

年上を敬い、敬語を使ってきた人が年下からタメ口をきかれるのは腹立たしいかもしれない。あるいは年下とどう接すればいいかわからないかもしれない。
だが、外出ができなくなった老後、同年代あるいは年上しか友達がいないという状況は大変だ。自分が動けなくなる歳になった時、友人らも同じように動けなくなっている可能性は高い。
あなたが寝たきりになった時、「やっほー」と言いながら遊びに来て遠慮なく飯を食べていってくれる20歳年下の友人はいるだろうか? 逆に、気兼ねなく遊びに行って飯を食わせてもらえる20歳年上の友人はいるだろうか?

私には3年前に亡くなった藤澤さんという友人がいる。
彼は80歳のALS患者だった。働き盛りの65歳の時にALSになり、寝たきり状態になった人だ。 

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2013年、私が作っていた研究段階のOriHimeを知り、個人で初めて購入したいと言ってくれたのが当時76歳の藤澤さんだった。ALS歴10年で手足も口も動かせないが、アクリル板の透明文字盤を使って学生の私に「OriHimeは素晴らしい もっとやれ」と褒めてくれて導入してくれて、ALS界隈へSNSなどで発信してくれた。

奥さんがまた可愛らしい人で、私がふらっと訪問すると外の門までサンダルでパタパタと小走りで開けに来てくれる。更に毎回頼んでもないのにお寿司をとってくれて、更にインターンの学生や友人を連れていくと歓迎してくれた。
正月などはパーティーを開いて招いてくれる。ヘルパーや友人が集まって皆でマジックを見たり、ビンゴゲームなどを主催してくれる。
OriHimeもとても気に入ってくれて、80近いというのにOriHimeを積極的に使い、車椅子に固定して、奥さんと一緒に花見を楽しまれていた。

OriHimeの改良の要望をもらい通うようになるうち、そのうち私や、私の仲間達にとって藤澤さんの家はもう一つの実家のような居心地のよい場所になり、長い時は17時から23時まで、6時間くらい滞在している事もあった。
そのとき、藤澤さんとは透明文字盤という文字が書かれたアクリル板を介して会話をしていた。奥さんやヘルパーさんが使っている透明文字盤が大変そうだったので「これ、もうちょっとなんとかなるんじゃないか」と思い、これをソフトウェアで解決できないかと自由研究し、半年ほど改良を重ねているうちに国際特許をとれる技術となり製品化したのが、いま現在全国で多くのALSの患者さんに使われている意思伝達装置「デジタル透明文字盤 OriHime eye 」の元になった。 

視線だけ(あるいはスイッチ、両方の組み合わせ)で文字を入力して発話でき、PCを操作でき、遠隔でOriHimeも操れる、今や多くの患者さんに使ってもらっているこのOriHime eyeシステムは藤澤さんという友人の家での”遊びの自由研究”から生まれたのだ。

2014年の夏には”アイスバケツチャレンジ”が流行した。
マイクロソフトのビルゲイツ氏はじめ、世界中の起業家、社長らが参加した事によって一大ブームになった頭から氷水を被るALSチャリティー。賛否両論あったが、日本の起業家の間でも流行り、早々に私にバトンが廻ってきた。
その時はすぐに藤澤さんの家に電話し、せっかくだから藤澤さんが視線だけでOriHimeを操作してバケツをひっくり返す装置を作ろうと、1日のうちに制作して夜に撮影して遊んだ。ALS患者が自らの意思で水をかける装置を作ったのはアイスバケツ界でも初だったようで、いくつかの海外のメディアでも紹介された。藤澤さんも少年のような笑顔で喜んでいた。(動画最後)


2017年の夏に彼が亡くなった時、大手銀行の元代表取締役会長という事で丸の内のホテルで壮大な葬儀が行われるのに参列し「こんなに社会的にすごい人だったんだ・・」と初めて彼の功績やかつての地位を実感したが、私の中ではOriHimeの最初のユーザーで、よき理解者にして友人を亡くした心境だった。

私は昔から歳が離れた人と友達になりやすいタイプだ。
小学生の頃、クラスメイトよりも教師の方が話し相手が多かったものだから年齢があがるたびに「先生や先輩には敬語を。でも年下には敬語使わなくていい。」と言われるたび、「これは年下差別じゃないのか?」と思っていた。
たしかに同じ価値観、時代感をもってる人と集まって喋るのは話しやすい。
だが我々は性別も言葉も人種も形も生まれた土地も違う人達と仲良くやれるのだ、異世代と仲良くやれないはずはない。
男子校の生徒が、女性に話しかけるのが苦手なのと同じ。
健常者が、障害者に話しかけるのが苦手なのと同じ。
単純に、慣れてないだけなのだと私は思う。

産まれ育った国がちょっと違うのと同じ、生まれ育った時代が20年~50年そこら違うだけの異世界人というだけなのだ。
変な距離を作らず、変な格好を付けず、20歳以上年上の友人、20歳以上年下の友人を作りに行けばいい。一緒にいて楽しいと思える人は、年齢関係なく遊びに誘ってみればいい。意外と歳が離れた友人が欲しい人は多いものだ。

これからは年功序列でも、逆年功序列でもなく、困った事や知らない事はお互い様、生きているもの同士、一緒に知らない事だらけの異世代交流を助け合いながら楽しむ、いわば老若男女平等社会だ。


「僕はもうすぐ80歳だけど、20代の人達と一緒にベンチャーやれるのは楽しい」
と、藤澤さんは私が作った視線入力システムで言ってくれて、創業したばかりのオリィ研究所の特別顧問にも就任してくれて、色々とアドバイスをくれた。
寝たきりなので通常は天井しか見えないが、隣にあるOriHimeを通し、藤澤さんの周りに集まった人達が奥さんが用意したご飯を美味しそうに食べるのを見渡して微笑んでいた。

「僕はもう食べられないけど、皆がおいしそうに食べてくれているのを見るのが楽しい。それが僕にとっての美味しさ。」

生まれた時代が50年離れた友へ
私も、もし老後があるとすればあなたのようにありたい。

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吉藤オリィ
 


追伸:
我々の活動をサポートしたい、吉藤が普段考えている重度障害ある友人や家族に話せる技術を知りたい、何か一緒にやりたいと言ってくださる方はこちら。新たな挑戦を発信し、資金は全て研究開発に全額投資していきます。


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