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お父ちゃんと横浜米軍機墜落事件

1977年9月27日13時過ぎ、神奈川県の厚木基地を飛び発った米軍機がエンジン火災を起こし横浜市緑区(現在青葉区)に墜落した。搭乗員はパラシュートで脱出。墜落した機体によって民家20戸ほどが炎上・全半壊した。

この事故で一般市民9名が負傷したが、その中の3歳と1歳の男の子が翌日未明までに全身火傷のため死亡した。母親もその後皮膚移植などを重ねて回復に努めたが1982年に死去。子供たちの死は母親には事故から一年以上経ってから伝えられた。

僕はその時中学三年生だった。ギターの練習に没頭し、受験を控えていながらも音楽漬けの日々だった。邦楽も洋楽もおかまいなしに聴いて、自分のギターでその曲を弾けないかトライアンドエラーを繰り返していた。フリートウッド・マックの『噂』、イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』、スティービー・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』、ボストン、ハート、フォリナー、そして中学の仲間たちと一緒にバンドで練習していた吉田拓郎、ピンクレディーの「渚のシンドバッド」などの音楽の中に僕はいた。そんな僕の日常にこのニュースが入ってきた。当時住んでいたのは横浜市港北区。横浜米軍機墜落事件があった緑区は隣の区だった。

僕のお父ちゃんはこのニュースをテレビで観て一言「ひでぇな」と云った。普段あまり乱暴な言葉を使わないお父ちゃんが吐き捨てるように放ったその声をよく覚えている。自衛隊が住民の救助でなく、まずはパラシュートで脱出した米軍パイロットの救助に向かったことを知った時も、あまり聞いたことのないような声色で憤りを溢れさせていた。火傷を負った子供達が亡くなったとのニュースを観てお母ちゃんは泣いていた。そのくらいしか覚えてはいない。

僕はその事件があまりにも近くで起きたことに対してあまり現実感を感じていなかった。自分が金魚鉢の中の金魚で、金魚鉢越しにテレビニュースやお父ちゃんの憤りを眺めていたような気がする。あまりにも大きな音を聞いたために、頭の中がしーんと静まりかえってしまったような、そんな感覚。その奥の方で「ホテル・カリフォルニア」のイントロのギターが小さく響いていた。またはフリートウッド・マック「ドリームス」のボリューム奏法を使った空間がふわっと揺れるようなギターサウンド。

僕は事件から随分と経ってから、細かい経緯を知った。新聞でだったか、テレビニュースだったか、覚えていないけれど。

3歳の林裕一郎くんが痛みや喉の渇きを訴えながら、最後に「おばあちゃん、パパ ママ バイバイ」と云って深夜に亡くなったこと。

1歳の林康弘くんが「ぽっぽっぽ」と鳩ぽっぽを歌いながら明け方に亡くなったこと。

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その事件を元にした絵本「パパママバイバイ」が僕の本棚にある。事件のあった1977年9月27日だけでなく、いつでも思い起こせるように。機会があったら是非読んで欲しい。僕がそう思う大切な一冊だ。

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この背表紙には包帯で全身を覆われた子供の絵がある。これが本棚からいつでも僕の方を向いている。世の中は喜びも悲しみも両方あって両方で満ちている。喜びを割り引いてへりくだる必要はないけれど、常に沢山の悲しみがあることも忘れてはいけない。自分に関係ないと思うことでも、地球上に住んでいたら全員関係者だと考えれば、他人事など一つもないのだ。誰が悪い、誰に責任がある、ではなく、この事件を忘れないこと、ずっと覚えていることに意義がある。どんな悲惨な事件や出来事もキレイゴトにすり替えず、ずっと覚えていること。それを伝えていくこと。それしか出来ない。包帯の子の絵は「ぼくをわすれないでね」と云っている。僕にはそう思える。火傷は痛くて辛かっただろうけど、ずっと覚えているよ。大丈夫。裕一郎くんも康弘くんも。

そしてお母さんの和枝さんのことも忘れない。子供二人を失い、過酷な治療に耐え、国に事の経緯への抗議を続けた。しかし国は不誠実な対応に終始。そして和枝さんも1982年にこの世を去った。無念であったことと思う。

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横浜の港の見える丘公園・フランス山地区に「愛の母子像」がある。目立つ場所ではないので、あまり多くの人に知られることもなく、ひっそりとある。事故から8年後に遺族の方から寄贈されたものだが、当初は米軍機墜落事故との関連性は表記されなかった。2006年に20年以上の歳月を経て事件との関連を表記する碑文がようやく設置された。こうした経緯を知るにつれ、日本と云う国がどこを見て何を大切にしているかと云うのが明らかになった。僕たちの生きているこの社会がハリボテのように思えた。多くの人が思い描くような幸福で充実した世界というのは存在しないのだろうか。当時よりも今は少しでも何かが改善されてきているのだろうか。何だか涙が出る。悔しくて。

秋の夜長にこの世の中をちょっとだけでも考えるきっかけになればと思い、書いてみた。今も昔もあまり風通しの良くないこの世のことを、あの世からお父ちゃんはどう見ているだろうか。今度お父ちゃんが夢に出て来たら訊いてみよう。

末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫